3月10日はチベットにとって、1959年に中国共産党の支配に“No”の意思を示した大規模デモが発生したという重要な日だ。今年もその日まであと1か月足らずとなっている。
ところで、2月14日も実はチベットにとって重要な日だ。1913年2月14日、当時の最高指導者だったダライ・ラマ13世により、チベットの独立宣言が発せられたのである。
既にあれから100年以上の月日が流れ、昨日は独立宣言101周年の記念日だった、ということになる。
独立宣言が出された経緯はこうだ。
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18世紀以降のチベットは、東アジア大陸を支配していた満洲国清朝の事実上の保護領とされていたとされている。
しかし勘違いしてはいけないのは、「満洲国清朝がチベットを支配していた」という図式ではないということだ。チベットと満洲の関係は言わば寺と檀家に比される「チュ=ユン」と呼ばれる関係だったのである。
(蛇足だが、上記の関係はあくまでチベットと満洲の関係であり、当時満洲国に滅ぼされて世界地図上から消えて無くなっていた中国は一切関係無い)
その一方でチベットは、南は当時インドを支配していたイギリスやネパール、北はロシアの脅威に晒されるなど、外交的に極めて不安定な位置にあった。
そんな中、第1次、第2次アヘン戦争で国力を弱めていた清朝はチベットに対する影響力を弱めるが、イギリスとの戦いで敗れたチベットの賠償金を肩代わりすることで再び宗主国としてふるまい、そして1910年、趙爾豊率いる清軍がラサに侵攻し、ダライ・ラマ13世がインドへ亡命するに至る。
ところが1911年、趙爾豊が暗殺され、翌1912年には中華民国が成立し、満洲国の領土が中国にそのまま乗っ取られる形で清朝が滅亡する。そんな中、鍾頴に引き継がれた清軍はチベットから撤退を始める。
1913年、ダライ・ラマ13世がチベットに帰還。2月14日、
「今や『施主と高僧の関係』を口実にチベットを奴隷化しようとした中国の陰謀は、塵のごとく、または虚空の虹のごとくに消えた。命あるものが、再び仏教と富によって幸福な新たな黄金時代を享受し始めている」
などと宣言。国旗を決め、外務省を設立し、独自の切手や通貨を発行するなど、近代的な手法も採り入れて独立国家としての色彩を強める。
▲チベット国旗となった雪山獅子旗
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(宣言が出された経緯については以上だが、更に1914年にはインドのシムラでチベット、イギリス、中華民国による会議が行われ、シムラ条約でイギリスとチベットの国境が確定し、中華民国が批准を拒否したことでチベットが国の宗主権を否定し、チベットの独立は国際法上にも確定する)
ただ、チベットが満洲国や中国に“臣従”した歴史はさらさら無いので、研究者の中にはこの宣言を「独立の再確認宣言」あるいは単に「13年布告」と呼ぶ方もいらっしゃる。
以上のことから言えるのは、(今更言うまでもないことではあるのだが、繰り返させていただくと)
東アジアを支配するカルト集団が幾ら「チベットは中国の一部」などと妄言をほざこうと、それには何の根拠も無く、
あるのはチベットが中共の侵略以前に独立国家だったという厳然な証拠のみ
ということだ。
チベットに自由を!
参考:白雪姫と七人の小坊主達「ダライラマ13世の国民への布告(1913年)」
http://shirayuki.blog51.fc2.com/blog-entry-652.html