不覚にもこのイベントを知るまで、佐々井秀嶺という人物のことを全く知らなかった。
先日お亡くなりになった、「ダライ・ラマ自伝」「チベットはいかに中国を侵略したか」などチベット関連書籍の翻訳も手がけたインド学者・山際素男氏による「破天 (光文社新書)」に、佐々井師の波乱に満ちた半生が描かれている。
紆余曲折を経て僧侶となった佐々井師はタイ留学の失敗後、インドに渡り、ナーグプルという街でインド仏教の復興者でありダリット(不可触民)解放運動のリーダーであったアンベードカルのことを知り、アンベードカルの志を受け継いでダリットの仏教への改宗、ヒンドゥー教徒の管理下にあったブッダガヤの大菩提寺(マハボディー寺。ブッダが悟りを開いた地に建てられた寺)奪還運動などを牽引していく。
インドに移って以来日本には戻っていなかった佐々井師がこのほど、所用で44年ぶりに日本に帰国し、先日は故郷の岡山で講演会を行った。この日は東京・護国寺で講演会が行われ、「破天」を通じて佐々井師に強くひき付けられた私も護国寺へと出向いた。
会場に到着したのはまだ講演開始40分前だったが、既に護国寺本殿に設置された椅子席は埋まっており、その前の床スペースに腰を下ろしてお話を拝聴することになる。入場者数は約500人と大盛況だった。
午後3時。厳粛な雰囲気の中、佐々井師が入場する。本殿仏像を拝んだ後、パーリ語で読経。その後、師を撮り続けた写真家や師のお弟子さんのお話があり、そしていよいよ、佐々井師のお話が始まる。
大きく、力強い、迫力のあるだみ声(失礼)が本殿に響き渡り、一種の緊張感が会場を包む。
師が仏門に入ったいきさつを語った後、故山際氏のことなどが語られ、そしてとりわけアンベードカルが始めたダリット解放運動の話には熱がこもっていた。
「インドが語られる際には上位カーストの視点からばかり語られている。不可触民の存在という二面性を語らずしてインドは語れない」
など、インド社会の矛盾を訴える。
書いている時間が無いのでその他詳しい話は割愛させていただくが、「破天」や今回の講演で見えてきたインドで復興した仏教の特色は、
・アンチカースト運動として展開された側面がある。
・派閥はあるものの、”宗派”の別は無い。
・瞑想は行われない。
といったところだろうか。まだまだ認識は浅いので、時間と機会があれば今後も理解を深めたいところである。
万雷の拍手の中、講演は終了。その瞬間、力強さと緊張感に満ちていた師の言葉と表情は一変して穏やかなものに変わっていた。
イベントの全てが終了し、車で護国寺を立ち去られる直前にも「ありがとうございます、ありがとうございます」と、腰を低くして参加者の方々と握手を交わす(私も恐れ多くも握手させていただいた)。そして、用意された車を通り越して歩いて立ち去ろうとしてしまうという、お茶目(笑)な姿も見せてくれた。
仏教とは言っても、チベットとは全く違う世界での運動である。しかし、佐々井師の粘り強い運動姿勢には、チベットサポーターとしての私も大いに勇気づけられた。
佐々井師は今回を最後の帰国と決めているという。インドでの活動に相当な覚悟で挑んでいることが窺い知れる。
しかし、最後に護国寺の住職が言っていたように、この日駆け付けた参加者全てが「またお越しいただきたい」と思っていることだろう。
最後に一言・・・
ジャイ・ビーム!
(アンベードカル万歳! インド仏教界では挨拶も『ナマステ』ではなく『ジャイ・ビーム』である)
ワシは4日に總持寺に行ってきたのですが、修行僧向けの講義だったこともあり、
護国寺とは内容が若干違っていたようですね。(護国寺の方が一般向け?)
仕事がなければ、参加したかったです。
ジャイ・ビーム!
Gunnieさん
總持寺での講演参加、お疲れ様です。
Gunnieさんのブログに書かれている範囲はほぼ同じことが話されていた気がしますが(『破天』を読んだ記憶がごっちゃになっている可能性もありますが)、護国寺の方は確かに一般の人にも分かりやすい講演でした。
あと、話はそれますが、写真展のPRありがとうございます!!
ジャイ・ビーム!