東南アジアで知り合った関西在住の友人が東京に来ているということで、仕事が終わった後、早速彼の携帯に電話をかけてみた。偶然にも彼はその時私の職場がある渋谷に来ていて、駅前で待ち合わせ後、居酒屋で再会の祝杯をあげた。
彼がパキスタン・ウイグル(中国による不法占拠中)国境で遭遇したトラブル、旅先での出来事、チベット問題、ダライ・ラマのこと、中国社会のこと――いろいろな話題を語り合った。
そんな中、私は昨年のアジア周遊の旅を終えて帰国した時に感じた違和感を、同じく長期旅行をしていた彼に質問という形でぶつけてみた。
「日本に戻った時『旅が終わった』って実感あった?」
私は昨年12月、「年内には帰国」という予定通り、7か月半に及ぶ旅を終わらせ中国・上海―大阪の船で日本に戻った。しかし、大阪で日本の地を踏みしめながらも違和感を感じていた
――旅は本当に終わったのか?
その問いに対する彼の答えはこうだった。
「僕は、(ウイグルで)皆既日食を見た時に『これで旅は終わりだ』と思いましたね」
違いは明らかだった。
旅の中で区切りを見つけた彼。
出発前から旅のリミットを決めて
いた私。
つまりは、私は「これで旅を終わらせてもいい」と思わせる強い契機に出合う前に、出発前に設定した「年内には帰国」という実に下らない理由に拘泥されて帰国してしまい、満足しきれないまま旅を終わらせてしまった、ということだったのだ。
今にして考えれば、私は帰国に際して、旅疲れの気分は全く無く、まだまだ余力はあったのである。
私の愛読書である、沢木耕太郎「深夜特急」。
沢木氏はインド・デリーからイギリス・ロンドンまでバスを乗り継いでいくという目標を、時間的には当初の目的よりオーバーしたものの、見事達成させた。そして、出発前に友人に約束した通り、ロンドン中央郵便局から「ワレ到着セリ」という電報を打とうとした。
しかし、同書の締めくくりはこうだった。
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これからまだ旅を続けたって構わないのだ。私が旅を終えようと思ったところ、それが私の中央郵便局なのだ。
(中略)
私はそこ(注:旅行代理店。ここで沢木氏はアイスランドへのチケットを予約する)を出ると、近くの公衆電話のボックスに入った。そして、受話器を取り上げると、コインも入れずに、ダイヤルを廻した。
(中略)
《ワレ到着セズ》
と。
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長期旅行者にとって、旅の終わりは、達成感によって決まるのではない。
満足感によって決まるのではないだろうか。