【纏め記事】ラダックの自然
2011年11月23日
ラダックは大部分が岩砂漠だ。荒涼とした褐色の大地が広がっているが、そんな中を流れるインダス川が貴重な恵みの水だ。川岸には建築資材として欠かすことのできないポプラや柳の林が生い茂り、麦などの畑が広がり、そこに住む人々の命を潤している。
荒涼とした大地を流れるインダス川
ポプラ
ラダックの柳。日本のしだれ柳とはかなりイメージが違う。
田園風景
ラダックは平均標高3500mの高地である。それより高い場所が富士山頂ぐらいしかない日本では考えられないほど、空が青い。空気は薄く、慣れていないとすぐ高山病にかかってしまう。
また照りつける日差しは熱く、眩しく、紫外線も強い。私が訪れた9月は昼間は暑かったが、夜になると急激に冷え込む。「ラダックでは1日の間に夏と冬が来る」と言われるくらいだ。冬になると雪も降り、相当厳しい気候になるということだ。
そして、森林限界を超えているので、山は大地と同じ褐色のはげ山か、万年雪を頂いた白い雪山ばかりで、緑生い茂る山というものは見当たらない。
ザンスカールの山
山あいを氷河が流れる
では、森林限界を超えているのに、なぜ平地にはポプラや柳が生い茂っているのか――実は、これらの木々は人々が人工的に植えたものが多いということだ。
以前にも書いたことだが、ラダックの風景は『風の谷のナウシカ』の風の谷そのものだった。一般的に風の谷のモデルとされる、ラダックよりもインダス川の下流にあるパキスタンのフンザでも、「ここはまさしく、風の谷だ」と思ったものだが、ラダックではそれ以上に『風の谷』である風景が私の目に焼きついた。
ダラムサラ(15)~マクロードガンジを一望
2011年10月11日
チベット子供村(TCV)への道の途中で、マクロードガンジを一望することができた。
・左端(北側)に見えるのがマクロードガンジのバスステーション
・下に見えるのが、本日訪れたチェチョリン・ゴンパ
・右端(南側)に見える4つの三角屋根がツクラカン
町並みは、手前に見えるのと同じ位の幅のものが山の向こうにもあるだけ。
こうして見ると、かなり南北に細長い街であることが分かる。
4年前にも感じたことだが、このように山のてっぺんに造られた街を見ていると、チベット難民が“僻地に追いやられた”といううがった印象をどうしても受けてしまう。
スタクナ・ゴンパ
2011年10月 3日
次の目的地・スタクナ・ゴンパに到着したのは、マト・ゴンパを出発してから1時間40分も経った後だった。
スタクナ・ゴンパは、インダス川南岸の荒野の中にポツンと1つだけ突き出た小高い丘の上に建っている。インダス川の側に回ると、雪山を背景にゴンパを見ることもできる。
中に入って2階に上がると、親切な老僧が見どころである部屋の鍵を一つ一つ開けて案内してくれた。
左奥にドルジェ・パンモ像が安置され、正面奥に7体の尊像が並び、右側に3体の仏像が並ぶなどするドゥカンをはじめ、いずれも、この日最初に行ったマト・ゴンパで内部を正面からは何も見ることができなかった無念さを晴らしてくれる見応えだった。
ドゥカン
しかし、この場所で私の心を打ったのは、ゴンパの建築物でも中身でもなかった。
そこから見える風景――真っ青な空の下、赤茶けた山々が連なり、方向を変えると雪山も見える。広大な谷あいには、ラダックを育んできたインダス川が流れ、そのほとりにはポプラを中心とした木々が青い葉を生い茂らせている。その向こう、山の手前には、私が特に気に入ったティクセ・ゴンパの姿も見える。
私をここまで満足させてくれて・・・
私が心底、ラダックに満足した一瞬だった。心残りが無いと言えば嘘になるが、今回はこのあたりでいいだろう。
[そろそろ――行くか]
私は乗り合いタクシーでレーに戻り、旅行社で次の場所への足をブッキングした。
そして、レーの中心寺院・ジョカンで最後の祈りをささげた。
ザンスカール―カルギル(2)
2011年9月30日
カルギルへの車は、7時すぎになってようやくパドゥムを出発した。
来た時と同じ道ではあるが、進行方向が逆だと見える景色も違う。また、何度見てもいい景色というものもある。特にドゥルン・ドゥン氷河では、私も田辺さんもテンションを上げて、埃っぽい荒野を走っているにもかかわらず車の窓を全開にして写真を撮り続けていた。
今回特に印象に残ったのは、道と川の方向が西向きから東向きへと変わった後のスル谷の景色だった。山と山との間に、スル川が切り開いた広大な谷が横たわっているのである。
[これこそ、『風の谷』だ・・・]
私は名作アニメ『風の谷のナウシカ』の情景を思い浮かべていた。
4年前、私は『風の谷』のモデルではないかといわれる同じくカシミール地方の、現在はパキスタンの実効支配下にあるフンザを訪れて、その清らかで幻想的な谷の風景に、なるほどこれは『風の谷』のモデルかもしれないな、と感じたものだった。ただ一つ、あの名作の谷に比べて狭いかな、という違和感だけがぬぐえなかった。
今眼下に見える風景はどうだろう。山と山に挟まれた広大な谷の中に、川が流れ、小さな家屋が点在し、収穫後ではあるが田園風景が広がり、緑の木々が林を形成している。
『風の谷』のモデルは実は、フンザよりもむしろその上流にあるラダックではあるまいか――そんな気がしてならなかった。
さて車は、なぜか途中で発電用のタービンをピックアップしつつ、スル川に並行する道を下っていく。行きと同じ3箇所のチェックポイントでパスポートチェックを受ける毎に、ザンスカールから遠ざかっているのだな、ということを感じる。
スタートで出遅れたため明るいうちに到着できるがどうかやや不安だったが、車は出発から10時間強の午後5時半、カルギルのメイン・バススタンドに到着した。その10時間の間トラックの荷台に置かれていたバックパックは、荒野の風に吹きさらされて埃まみれになっていた。
到着して真っ先に行ったのが、メイン・バススタンドでレー行きのバスを探すことだった。これが見つからないと騒がしいだけで何の面白みも無いカルギルで余分な長居を強いられることになる。
ところが探し始めて1分とたたないうちに、至極きれいなレー行きのバスが見つかる。運賃は1人300ルピーと、思っていたよりも安い。私と田辺さんは即そのバスのチケットを購入し、出発時間である翌午前4時半まで近くのゲストハウスで一息ついた。
パドゥム・ゴンパ一帯
2011年9月29日
ギャワ・リンガ磨崖仏を目の当たりにしてザンスカールに満足しはしたが、せっかくなのでパドゥム・ゴンパ一帯を散策してみよう。既に夕方の5時を回っていたのでゴンパに上って内部を見るのはちょっと無理だろうが、ゴンパに対する未練は既に無い。
パドゥム・ゴンパ一帯は、ほんの数年前まではマーケットあり、バスターミナルありの街の中心地だったらしいが、今ではその座を街の北側に奪われ、バスターミナルは空き地となり、マーケットはすっかりさびれてしまって、往時の賑わいは失われてしまっている。
だからと言って、みすぼらしいばかりの場所だという訳ではない。ゴンパへ向かう村落の中の道を歩いていると、家屋の造りは他の場所と同じなのにもかかわらず、
[ここは――ザンスカール王国時代の町並みではないのか?]
そんなことを思わせる、落ち着きのある古めかしい雰囲気に満ちている。
最後の最後に、いいものを見せてもらった。既にザンスカールを満喫しきった心に、新たな充実感がプラスされた。