バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

ラダック、北インド(2011年)

ダラムサラ(14)~チベット子供村(TCV)

2011年10月11日

今回のダラムサラ訪問で、一番訪れたいと思っていた場所がチベット子供村TCV)だった。チベット難民の子どもたちが学ぶ寄宿制の学校である。

マクロードガンジの広場からタクシースタンドの先に続く割と平坦な道を(私の歩く速度で)30分ほど歩いたところで分かれ道を右に曲がって更に10分ほど進むと、ダリ湖という小さくて汚い池に突き当たる。そこを右に曲がってすぐの場所に、TCVの入り口はある。
「事前の許可なき者の訪問を禁ず」という、この日別の場所で見たようないかめしい看板がまたしてもあったが、「撮影は許可がいるけれど、ふらりと行っても中には入れる」という話を事前に聞いていた通り、特に守衛や門番がいる訳でもなく、すんなりと中に入ることができた。

寄宿舎の間を抜けると高台があり、そこからは校舎と校庭を見渡すことができた。

私がTCVを訪れたのは、30分間。その30分の間――私はただ、その高台からの眺めを見渡すことしかしなかった。否、そうすることしかできなかったのである。
そこから先に深入りすることがはばかられるような気がしたのだ。

校庭では、男女とも青いズボン、青の細かいチェックのシャツに緑のベストという制服を着た子どもたちが、普通に活動をしていた。
しかし、普通に見えるその子どもたちは、故郷であるチベット本土からヒマラヤを越えるという過酷な旅を経てここまで来た、もしくは故郷であるチベット本土を知らない、そんな背景を持った子どもたちばかりなのである。

そんなことは、既によく知っていた。

しかし、こうして実際にTCVにいる子どもたちを見ていると、そうした背景を初めて心の底から「悲しいこと」と感じるに至った。

そんな気持ちになってしまっては、ずかずかと土足で入り込む気持ちにはとてもなれない。
先生の笛に促されて子どもたちが校庭を後にする。授業は終わっている時間だったので、寄宿舎に戻って行ったのだろう。
その様子を見届けた後、私もTCVを後にした。

ただ「眺めるだけ」の訪問になってしまったが、子どもたちが背負っているものが「悲しいもの」であることが本当に分かっただけでも、来た価値はあったと言っていいだろう。

※撮影許可を頂いて行った訳ではないので、当然写真は無し。

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コメント(2)

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電気猫様

里親さんなんですね。
それなら、TCVへ行く動機づけがはっきりとしていますね。
私がTCVで一歩踏み込めなかったのは、その“動機づけ”がはっきりしていなかったことが理由の一つなのかもしれません。

私は12日の未明にデリーに着いて、その日の夕方にマックロードガンジーに着き、すぐにTCVまでリキシャを飛ばして、里子の娘に会いに行きました。
カズさんとは1日違いでしたね。

中は結構広くてホーム(寮)もたくさんあり、中には浜田省吾が建てた省吾ホームもあります。
その場で里親になることも可能ですよ。

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