ダラムサラ(8)~祈り
2011年10月 9日
最近、チベット本土で中国共産党の支配・弾圧に対して抗議の焼身自殺をするケースが増えている。自殺はチベット仏教でご法度とされているにもかかわらず、である。ルンタ・プロジェクトの中原氏によると、「チベット人的に言えば『自らの体を灯心にして抗議の火を灯して』いる」とのことらしい。
痛ましい・・・
悲しい・・・
悔しい・・・
抗議するにしても、自らの死を以って行う以外に方法は無いのか?
生き永らえて別の形で抗議を続ける方が或いはより良い方法ではないのか?
逆に言えば、彼らはもうそうでもしなければどうにもならない所まで追い詰められている、ということにもなるのかもしれない。
しかし、“命を懸ける”気持ちは尊重したとしても、私は彼らに死という選択肢を選んでほしくない。
生きて、チベットが自由を勝ち取る瞬間を見届けてほしい。
この日夕方前、2度目のツクラカン参拝に出かけた私は、命を散らせたチベット人たちの冥福と、そんなことが繰り返されなくて済むようなチベットの実現を祈り、静かに仏に祈りを捧げ、マニ車を回すのだった。
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