ダラムサラ(2)~ダラムサラの“空気”
2011年10月 7日
長距離移動から一夜明けた朝だったが、調子は悪くない。朝一番でダラムサラの中心寺院・ツクラカンを巡礼する。寺院正面には、4年前には無かった屋根が設置されていて、何か圧迫感があって狭苦しくなったように感じられた。
朝の体操?をする僧侶たち
そして、ツクラカン正面に建つ、ダライ・ラマ法王公邸――外遊はまだ先のようなので、今この中に、法皇様がいらっしゃるはずである。
4年前に訪れた時も感じたことだが、ラサのポタラ宮やノルブリンカとは比べ物にならないほど小さく、質素な屋敷である。謙虚でつつましいダライ・ラマ14世でなければ、この格差には到底耐えることができないのではないだろうか。
公邸前には掲示板があり、法皇様のスケジュールが張り出されている。
10月30日 | 大阪 |
11月1~2日 | 高野山 |
11月3日 | 高野山大学 |
11月5日 | 仙台・孝勝寺 |
11月6日 | 仙台・聖和学園、郡山・日本大学 |
ツクラカン拝観の後、街の中心に出てみた。まだ閑散としているが、寺院の周りのマニ車を回す者、ぼちぼち店を開ける人、屋台を開く人、子どもを学校に送る母親などが、1日の営みを始めようとしていた。
開き始めている屋台の1つで、モモを売っていた。朝食にしようと1皿買い求め、お値段10ルピー。
そう言えば、宿の値段もかなり奇麗な部屋が1泊200ルピー、昨夜の夕食もドリンク付きで80ルピーのメニューで美味しく、しっかりと頂くことができた。全般的に、数日前までいたラダックと比べるとかなりコストパフォーマンスがいい。
薄々感じていたのだが、ラダックはやはり物価が高い傾向にあったようだ。
ほんの僅かな時間の散策だったが、私はその短い時間の間で十分に、ダラムサラの空気に妙な違和感を覚えていた。
チベット人が大勢いながら、“チベットの空気”が希薄なのである。
一つには、チベット本土やラダックで感じられた、チベット独特のバターの匂いがしない、ということもあるだろう。
しかし、根本的な原因はもっと深い所にあるように思われた。
ここには、チベット人の大きなコミュニティがある。
しかし、ここは、チベット人の土地なのか?
答えは、“No”である。
ラダックは、ラダッキというチベット人が生まれ育った土地だ。だから、ラダックには“チベットの空気”が感じられた。
チベット本土は、今でこそ中国共産党に侵されているとはいえ、チベット人が生まれ育った土地だ。(私が最後に訪れた2007年時点で)ラサのジョカン周辺あたりにはまだ“チベットの空気”が感じられた。
しかし、ダラムサラはそうではない。
借り物の地・・・
本来ならチベット人が住まなくても済んだはずの地・・・
故郷を離れることを余儀なくされた人々の悲哀が、ダラムサラの空気にはあった。
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