クスコ―プーノ ~荒野を越えて湖畔の街へ
2009年9月21日
早朝、宿の中庭に日本人女性がいたので少しばかり話をする。
「これからプーノに行くんですよ」
「あ、本当ですか? 僕もです」
しかし、目的地は同じだが、彼女は40ドルのデラックスバスであちこち立ち寄りながら向かうとのことである。そういう行き方もあるのだが、私は途中の訪問地にはそれほど興味がわかないため、ダイレクトで向かう。
彼女を見送った後、7時すぎ、宿を出てタクシーでプーノ行きの長距離バスターミナルへ。5ソルだったが小銭が無く、50ソル札で支払うと、運転手は45ソルのお釣りをきちんと渡してくれた上に、その50ソル札と自分が持っていた50ソル札を私の100ソル札と交換してくれた。これでお金が一気に細かくなった。ありがたい。
8時発のバスでプーノへ向かう。40ソルのダイレクトバスだが2階建てのかなり快適なバスだった。
アンデスの荒野をいく
雪山やバザールの様子なども見える
車窓の外には、アンデスの風景が広がる。初めのうちは畑なども見えていたが、シクアニを過ぎたあたりからいかにも南米のイメージに合う荒野となる。しかし、退屈に思うどころか、時には放牧されたリャマなどの家畜がゆったりと草をはんでいたり、時には「コンドルは飛んでいく」さながらに鳥が空を飛ぶ姿が見えたり、時には雪山が見えたり、時にはバザールが開かれていて人の生活感が感じられたりと、さまざまな顔を見せる風景に私はすっかり引きつけられ、片時もカメラを手放すことなく車窓の風景を眺めていた。
スペイン語の新聞を読むペルーの少年
道中最高峰のラ・ラヤ(4335m)を過ぎ、プカラ、プリアカで客を乗降させたりして進む。
空席だった私の隣に、途中から乗ってきた現地の少年が座る。暫くすると、新聞を取り出して読み始めた。その新聞で使われている言語は ―― スペイン語だ。
そう。インカの人々はスペインの征服によって、独自の言語すら奪われてしまったのである。褐色の肌をした少年がスペイン語の新聞を読む姿に、私は言い知れぬ違和感を感じていた。
出発から約7時間。最後の峠を越えると、眼下に広大な湖が見えてきた。ペルー・ボリビアの国境を跨ぐ大湖・チチカカ湖(ティティカカ湖)である。目指すプーノは、このチチカカ湖西岸に位置する湖畔の街だ。
チチカカ湖とプーノの街
峠の下にあるプーノの街を目指して、バスは山道を下る。そうしていくうちにプーノの町並みも次第にはっきりと見えてきたが、途中、街を見下ろすイエス・キリストの像が目に入った。イエスその人は素晴らしい聖人だとは思うのだが、ここペルーで彼の姿を見てしまうと、やはりクスコで感じた時のよう“征服の爪痕”というネガティブな思いを持ってしか見ることができない。
イエス・キリスト像に見下ろされるプーノの街
山道を下りきって、プーノのバスターミナルに到着。街中のホステル・ロス・ウロスに宿を決める。本来なら1泊30ソルだが、私は手持ちのガイド本を支配人に見せて、
「ここに、『本書提示でディスカウント』と書かれています」
と言うと、
「OK!25ソル」
と、快く値引きに応じてくれた。
この支配人が気さくで親切で、スペイン語交じりながらも一生懸命英語で応対してくれる。まず翌日のチチカカ湖1日ツアーを紹介してもらい、更にプーノから先の移動についても相談させてもらう。
「明後日は、アレキパを経由してナスカに行くつもりです」
と私が言うと
「プーノからナスカまで直行バスがありますよ」と教えてくれた。ダイレクトがあるのならありがたい。そのバスを予約させてもらった。
日没まではまだ時間がある。私はプーノの街を、そしてチチカカ湖を見に出かけることにした。
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