デリー-3 ~フマユーン廟とガンディー最期の場所
2007年8月22日
朝、メイン・バザールを歩いていると、細い道を象がのっしのっしと歩いていた。背中には西洋人数人が乗っている。観光者向けにこういうサービスもあったのだ。
メイン・バザールを歩く象
私がカメラを向けると、"乗客"が「ルピー!ルピー!」(つまりは『金よこせ』)とおどけて言ってくる。インドで象の背中に乗って、気持ちも少しhighになっているようだった。
この日最初に訪れた場所は10時にならないと開かないということなので、その前に別の場所を訪れたが、表通りから少し外れた場所にあり、少々迷ってしまった。
ニューデリー東部のニザム・ディン駅近くにあるフマユーン廟は、規模こそ昨日見たジャマー・マスジットに及ばないが、やはり均整の取れたインド・イスラム建築である。但し、用途が全く違う。ジャマー・マスジットがモスク(寺院)だったのに対し、こちらは墓なのだ。
墓の主は、ムガル帝国第2代皇帝フマユーン。塀で隔てられた別エリアには、一族の棺を集めた廟も設けられている。
こうしたモスク風の墓は以前東トルキスタン・カシュガルでも見たことがあったが、東トルキスタンのものが青を基調としているのに対し、こちらはピンクを基調としている。それぞれの文化にそれぞれの色がある、ということだ。
フマユーン廟
規模の大きな墓ではあるが、中国でもっと大きな墓を見たことのある私にとっては既に驚くに足りなかった。しかし数日後、私は別の場所で巨大な墓に驚き、感嘆し、そしてあきれることになる。
途中でロディー公園内の遺跡を見たりしながら、朝一番に訪れた場所に歩いて戻る。その場所こそが、この日のデリー巡りで一番の目当てだった。
ガンディー・スミムリティ博物館…
名前を見れば、そこがインド独立の父マハトマ・ガンディーゆかりの博物館であることは容易に想像できることだろう。ガンディーが晩年を過ごしたかつてのビルラー財閥の邸宅である記念館内部ではガンディーが生活した痕跡や彼の功績、言葉や独立運動の様子を描いたジオラマが展示されていて、確かにガンディーの独立への信念や思想などを垣間見ることができる。
しかし博物館ということ以外に、この場所は大きな意味合いを持っていた。
ガンディー・スミムリティ博物館
ガンディー最期の場所
1948年1月30日、ガンディーは狂信的なヒンドゥー教徒の凶弾の前に倒れ、この世を去る。その場所は、ビルラー邸の庭園 ―― 即ち、こここそがガンディー最期の場所だったのである。記念館と記念碑のたてられた最期の場所の間には、その時のガンディー足跡が再現されている。
ガンディーは独立を達成して僅か半年のインドの今後に思いを巡らせつつ、再現された跡の足取りでここを歩いていたに違いない。そして、彼は死の際に「おお神よ!」との言葉を残したという。
彼は神に何を祈ろうとしていたのだろうか。
「インドをお守り下さい」…
「世界に平和を」…
想像は幾らでもできるが、もはやそれを知ることはできない。
いずれにせよ、インドがこれからという時に降りかかった災いは彼にとって無念極まりなかったことだろう。この足跡がこの場所で途切れてしまっているのは、彼がまだ道半ばであったことの象徴ではないのか ―― そんな気がしてくる。
その無念を、今のインドは晴らしてきてくれただろうか。現在のインドは産業が急成長を遂げていて世界の大国になりつつあり、もはや他国から抑圧を受けることはなくなっているが、一方でガンディーが反対していたカースト差別、殊にハリジャン(不可触民。カーストの最下層)への差別は今なお解消されてはいないのである。
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