カシュガル-1 ~これぞ“ウイグルの街”
2002年7月27日
昨日は礼拝の時間にかち合ってしまって参観できなかったエイティガール寺院に入場する。
中庭を抜けると、メーンの建物が見えてくる。白い壁、緑の柱、赤いじゅうたん、天井画の鮮やかな内装だが、人けが無くひっそりとしている。
エイティガール寺院の外観
同寺院内部
礼拝の時間はそれこそ熱気に溢れているのだろうが、部外者はそれを見ることができない。
それを見てこそ異教徒の知的好奇心も満たされるというものなのだが、礼拝は地元民の神聖なる生活の一部であり、安静な心でとり行われるべきものである。興味本位でじろじろ眺めたり、断りも無くカメラのシャッターをパシャパシャとさせたりするのは、やはり礼を欠いた行為となろう。
午後、カシュガル駅に出向く。ウルムチへ戻る切符を買うためと、順調にいけばこの日の列車でカシュガルに来ることになる、中国・敦煌とトルファンで行動を共にしたMさんを出迎えるためである。
ウルムチ・トルファン方面からの列車は、昨日同様、1時間遅れの3時半に到着した。どうやら事故のためだったらしい。
改札口をくぐる人の群れの中に、果たしてMさんはいた。トルファンの旅行社で、切符はすんなりと買えたという。切符を確実に入手するためにとウルムチ→トルファン→ウルムチをばたばたと回った私の苦労は、結局無駄だった訳だ。
私が泊まっているチニバーク・ホテルの様子を話すと、Mさんも「そこがいい」と言う。私の部屋にはまだベッドの空きがあったので、敦煌・飛天賓館の時に続いて、私たちはドミトリーの同室となった。
モスクのようなユスフ・ハズ・ジャジェブ墓
Mさんはカシュガルの後、さらに奥地のホータンに向かうという。一緒にバスターミナルとバスの下見に行ったついでに、ユスフ・ハズ・ジャジェブ墓を訪れた。
その外観たるや、モスクそのものである。
この墓の主・ユスフ・ハズ・ジャジェブは11世紀の人物で、カラハン朝の重臣だったという。その名前こそ馴染みはないが、カラハン朝といえば高校の世界史で学んだ覚えがある。
(そうか、カラハン朝はこの地に栄えたのか)
トルファンの交河故城やカレーズで思ったことが再び、頭をよぎった。
―― フィールドワークに勝るものは無い。
カシュガルは、中心街の人民東路界隈こそ中国のような漢人街なってしまっていたが、そこを一歩離れると、イスラムの雰囲気で満ち溢れている。人、建物、店先の商品、飛び交う言葉、シシカバブを焼く香り ―― その濃厚たるや、ウルムチやトルファンの比ではない。
これぞイスラムの街、ウイグル人の街である。
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