世界への旅(旅行記)
> 海南島
海口・2 ~海南ゆかりの人物たち
海南にも歴史があり、歴史のある所には人物がいる。
そんな人物ゆかりの地の一つが、海瑞墓だ。
海瑞墓
海瑞とは、明代にここ海口で生まれた政治家である。皇帝に対して諫言も辞さずに投獄もされた、清廉潔白なことで人気のある人物である。
海瑞が嘉靖帝に直諫をして罷免させられたエピソードは1960年に「海瑞罷官」という戯曲になり、文化大革命の引き金にもなった。そして、その文革のためにこの墓の祠が一度壊されたことがあるというのだから、何とも皮肉である。
南京で在職中に死去した彼の亡骸は故郷に戻され、この地に埋葬されたのだが、彼の亡骸が送り出される時、南京の人々は喪服姿で並び、泣いて見送ったという。
海瑞という人物については、今回初めて知った。日本人には余り馴染みの無い、歴史の隅の人物 ―― こういう人物ゆかりの場所というのは、歴史好きにはたまらない。
街の西から東へと移動。ここにも海口の歴史に残る人物たちゆかりの場所があった。五公祠と呼ばれる場所である。
五公祠
五公とは、唐宋時代の人物たちであり、李徳裕、趙鼎、李剛、李光、胡銓の5人。いずれも政争に敗れてこの地に流されてきた。彼らを祀るのがこの祠であり、同じく海南に流されてきた、詩人としても有名な蘇軾(蘇東坡)も併せて祀られている。熱帯の華やかな雰囲気の裏に、この海南島にはかつて"流刑地"という顔があったのだ。
蘇軾はともかくとして、その他の五公については全く知らなかった。ここでも、歴史好きの琴線を刺激してくれるものと出会うことができた。また、少しは知っているつもりだった蘇軾についても、「彼はこんな所にまで来ていたのか来ていたのか」という意外さの交じった感慨も沸いた。
敷地内には陳列館もあり、五公の経歴などを説明している。
五公祠の陳列館を参観しているうちに、疲れを感じてきた。慣れない暑さの中を重い一眼レフを入れたカバンを背負い、調子に乗ってあちこち精力的に歩き回りすぎたようだった。
一度宿に戻って、体力が戻るのを待つことにした。
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