世界への旅(旅行記)
避暑山荘・2 ~湖と平原
2003年8月10日
中島への渡り廊下・水心樹
(下)避暑山荘の中でも指折りの景勝・煙雨楼 宮殿区から木々の間を抜けて坂道を下ると、水の風景が見えてくる。 避暑山荘・湖洲区の中核を為すこの湖は、澄湖という。 湖面そのものの面積はそう広くはないのだが、大きい島が幾つもあるので、実際以上に広く見える。
この湖洲区は、江南の風景を取り入れているという。建築物の様式の話となると私にはよく分からないのだが、湖に幾つもの風景エリアが点在しているという点では、確かに杭州の西湖に通じる部分がある。そして、ピンクと緑のコントラストが美しい蓮の群生は、無錫の蠡園の風景とよく似ている。
中でも、中島への渡り廊下に当たる水心樹、浙江省・嘉興にある同名の楼閣を再現した煙雨楼、避暑山荘の別名・熱河行宮、そしてかつての熱河省の名の由来となった熱河などは、避暑山荘でも指折りの景勝地だ。
折りしも、天気は夏晴れ。日差しは強いのだが、時々木々の間を抜けたり、この湖の風景を見ていると、心なしか涼しさを感じる。このあたりが“避暑山荘”たる所以(ゆえん)なのだろう。
一角の湖面を見ると、幾つもの船が浮かんでいる。しかし、屋形船のようなものだけならまだしも、英語で“ボート”と呼ぶしかないものも多く、歴史的価値のある光景をやや損ねている。
湖洲区の北に位置するエリアが平原区だ。モンゴルの草原を再現したものらしいが、樹木も少なくなく、以前訪れたことのある南モンゴルの草原の光景とは明らかにイメージが違う。
ふと左手を見ると、山道の入り口がある。高台から見ればこの避暑山荘の大きさが実感できるかもしれない ―― そう思い、自然と足がそちらの方に向かった。
湖洲区全景。これでも避暑山荘の氷山の一角に過ぎない
南山積雪というスポットから見下ろした湖洲区と平原区は、確かに広大だった。しかしこれとて、564万平方メートルもある全敷地面積からすればほんの2、3割程度 ―― 文字通り“氷山の一角”に過ぎないのだ。
平原区のゲル
永佑寺舎利塔 国土の狭い日本でこのようなものを造れば、それこそ国土の無駄遣いということになるだろう。広大な中国だからこそ、そして、絶大な権力を持つ皇帝だからこそ造り得たもの、ということになろう。
ふと左手を見ると、山道の入り口がある。高台から見ればこの避暑山荘の大きさが実感できるかもしれない ―― そう思い、自然と足がそちらの方に向かった。
湖洲区全景。これでも避暑山荘の氷山の一角に過ぎない
平原区のゲル
永佑寺舎利塔 国土の狭い日本でこのようなものを造れば、それこそ国土の無駄遣いということになるだろう。広大な中国だからこそ、そして、絶大な権力を持つ皇帝だからこそ造り得たもの、ということになろう。
山を下りてあらためて平原区を散策する。
かつてモンゴルからの使者を接見した場所であるモンゴル式のテント・ゲルがある光景は、確かにモンゴルの平原の風情がある。ただ、ここに生い茂っている緑の樹木はやはり南モンゴルの平原で見たものとは明らかに様子が異なっている。ここに建っている仏教寺院・永佑寺も明らかに中国寺院の様式でモンゴル的ではない。
かつてモンゴルからの使者を接見した場所であるモンゴル式のテント・ゲルがある光景は、確かにモンゴルの平原の風情がある。ただ、ここに生い茂っている緑の樹木はやはり南モンゴルの平原で見たものとは明らかに様子が異なっている。ここに建っている仏教寺院・永佑寺も明らかに中国寺院の様式でモンゴル的ではない。
気が付けば、11時近くになっている。7時半に入場したのだから、都合3時間以上も避暑山荘を巡っていたことになる。それでも、敷地面積の7割以上を占める山間区には、まだ一歩も足を踏み入れていないのだ。
しかし、他にも訪れたい場所があったし、何よりも脚が疲れた。山を歩くには少々辛い。私は、この位で十分だろう、と考えて“城壁の中の別天地”を後にした。
しかし、他にも訪れたい場所があったし、何よりも脚が疲れた。山を歩くには少々辛い。私は、この位で十分だろう、と考えて“城壁の中の別天地”を後にした。
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