バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

大陸中国・承徳、北京

北京―承徳 ~久々、オンボロ長距離バス

2003年8月9日

会社の休暇日程が「2日後からに変更になった」と突然聞かされたため、本来は大連―北京間の移動は列車を予定していたところが、切符を買い求めることができなかった。旅行に行くことを最優先させたかった私は、不本意ながら飛行機で北京まで向かうことにした。
北京空港から、取りあえずは北京駅まで来る。ここには主要都市へのバスが発着するからだ。明後日の大連へ戻る列車の切符を購入した後、さて、目的地へ向かうバスは無いかな、と駅前広場の西側へ足を向けた。すると、1人の男が声をかけてくる。
「天津? 承徳?」
バックパックを背負って駅前広場をうろうろしていれば「旅行者です」とアピールしているようなものだ。彼も私を旅行者と見て、北京近郊の有名な観光都市の名前を並べる。その中の“承徳”こそ、私が今回の旅で目指す最大の目的地である。
ちょうどいい。探す手間が省けた。私が「承徳へ行きたい」と言うと、彼は私を「承徳」と書いたプレートを持つ女性の所へ案内した。そこからさらにリレー方式で、その女性が私をバスまで連れて行った。
北京駅には別に正式なバスターミナルがある訳ではない。駅周辺にバスを分散して停めて、私に対して行ったように、駅前で集客してバスのある所まで連れて行く、という方式を取っている。
それを知らなかった私は、初めのうち「どこへ連れて行くつもりだ?」とやや心配になった。女性が私を路地裏へと連れて行くからである。しかし到着した場所には、小型のオンボロながらバスがきちんとあり、先客もいるようである。それを見て一安心。私はバスに乗り込んで出発を待った。
客が集まったところで、いざ出発。しかし、余りに狭い路地だったため、バスは切り返して方向転換することもできない。やむなく、200メートルほど先にある路地まで、バックで進行だ。後ろは大丈夫か、と私が気にしていると、通りすがりの男性が「オーライ、オーライ」とバスを手招きしてくれてようやく、バスは12時50分、北京を出発した。
承徳は、北京から東北へ約200kmの地点にある。河北省に属しているが、市境を越えるとそこは内蒙古、もしくは遼寧省、という場所に位置している。北京からバスに乗れば約3.5時間で到着 ―― のはずだった。しかし1時間ほど走ったところで、車線規制による大渋滞。これで余計な時間を費やしてしまった。
渋滞を抜けて一般道を走っていくと、左手に密雲貯水池というダム湖が見える。その後、司馬台長城の横をすり抜けると、承徳の市域に入る。しかし、中国の“市”はかなり広く、中心の市区へはさらに1時間ほどの距離がある。
山道を走ってトンネルを抜けると、眼下にトウモロコシ畑が黄金色に輝いている。まだ市域には達していないのだが、“皇帝の避暑地”承徳に相応しい、のどかな中にも雅なものが感じられる風景だ。
午後6時。ようやく承徳市域に到着した。久々にオンボロ長距離バスに乗ったため、少々尻が痛い。
宿を求めて、ドミトリーがあるという徳匯賓館の門をくぐった。しかし、フロントの服務員によると、ドミトリーは無いらしい。そこへ、マネジャーの男性が「どうしたのですか?」と話しかけてきた。
「これを見て来た」と、私がガイドブックに書いてある徳匯賓館の記述を見せると、彼はそれを見ながらつぶやいた。
「なるほど、当ホテルのことですね。電話番号が以前のものですが…。多人間(ドミトリー)50元ですか ―― 分かりました。これを見て来たということであれば、この条件でお泊めします」
しかし「よし!」と思ったのもつかの間、ドミトリーにできる3人部屋に空きが無いようであった。
無いものは仕方がない。マネジャーがこれだけ親切に応対してくれたのだから、文句を言わずに諦めよう。
その後も安そうなホテルを回ったが、さすがに夏は承徳の観光シーズン真っ盛り。なかなか空きが無い。1時間ほど市内を回って、メーンストリートの南営子大街に位置する心連心賓館に空きを見つけた。300元のところを交渉して240元にしてもらい、ようやく落ち着く場所を確保できた。
少し休んで、夕食をとりに裏通りへ出かける。中国の中規模都市らしい、小さいながらも活気のある場所である。
店先にテーブルを出している食堂で、マスターが客引きをしている。私はその声に引き寄せられてそこに腰を下ろし、餃子を注文した。
「何両(1両=50グラム)食べる?」と店の阿姨が尋ねるので「2両」と答えた。
「たったそれだけでいいのかい? 10個と少しにしかならないよ」
その位で十分だ。中国人の胃袋とは構造が違うのだから。果たして、餃子10数個と炒め物1皿で、ちょうどいい分量だった。

<新着記事>

Google

WWWを検索a-daichi.comを検索
お勧めメディア(Amazon)
100色で描いた世界地図