世界への旅(旅行記)
ハルビン・2 ~ロシアの雰囲気
2002年9月15日
ハルビンから黒河入りした時同様、寝台列車でハルビンに戻る。
民航オフィスで帰りの航空券のリコンファームをした後、次の目的地へ向けてぶらぶらと歩いてみる。
ふと右手に目をやると、大きなテレビ塔が天に向かってそびえている。省会として、ハルビンが発展を遂げていることのシンボルと言っていいのかもしれない。
ふと右手に目をやると、大きなテレビ塔が天に向かってそびえている。省会として、ハルビンが発展を遂げていることのシンボルと言っていいのかもしれない。
しかし、現代的な発展もいいが、私は歴史の感じられる場所の方が好きである。そういう訳で、次に訪れた場所が文廟(いわゆる孔子廟)だ。
孔子廟ならこれまで幾つか訪れたことがあるので、建築物そのものにはさほど目新しさも感じない。それよりも私の目を引いたのが、ここで常設されている黒龍江省民族博物館である。
雲南ほどではないだろうが、ここ黒龍江も、北の民族の宝庫と言っていいだろう。満州族、朝鮮族、モンゴル族、キルギス族等のほか、シボ族、ダフール族、エヴェンキ族、ホジェン族 ―― 初めて聞くような民族名もある。
これまで中国各地を巡ってきたが、実際に接してきた民族はまだまだ少ない。全民族と接するのは、至難の業であろう。
聖ソフィア教堂
ロシアの雰囲気漂う中央大街
ハルビン駅の北側に場所を移してみる。ここは、ハルビン一の繁華街だ。
1907年に建てられたロシア正教会・聖ソフィア教堂もこのエリアにある。そのビザンティン様式の表から見ただけでも、東欧的な異国情緒を味わうことができるが、中に入ってみると、色とりどりのステンドグラスや、ダヴィンチの「最後の晩餐」(言うまでも無く模写)が入場者を出迎える。この教会の内部はちょっとした美術館になっていて、その他にも洋画が幾つも並んでおり、一歩足を踏み入れただけで中国から東欧に瞬間移動してしまったかのような錯覚すら覚える。
確かに、この教会は際立った存在である。しかし、それでいて決して街並みから浮いていないのは、ここハルビンならではのことなのであろう。
孔子廟ならこれまで幾つか訪れたことがあるので、建築物そのものにはさほど目新しさも感じない。それよりも私の目を引いたのが、ここで常設されている黒龍江省民族博物館である。
雲南ほどではないだろうが、ここ黒龍江も、北の民族の宝庫と言っていいだろう。満州族、朝鮮族、モンゴル族、キルギス族等のほか、シボ族、ダフール族、エヴェンキ族、ホジェン族 ―― 初めて聞くような民族名もある。
これまで中国各地を巡ってきたが、実際に接してきた民族はまだまだ少ない。全民族と接するのは、至難の業であろう。
聖ソフィア教堂
ロシアの雰囲気漂う中央大街
ハルビン駅の北側に場所を移してみる。ここは、ハルビン一の繁華街だ。
1907年に建てられたロシア正教会・聖ソフィア教堂もこのエリアにある。そのビザンティン様式の表から見ただけでも、東欧的な異国情緒を味わうことができるが、中に入ってみると、色とりどりのステンドグラスや、ダヴィンチの「最後の晩餐」(言うまでも無く模写)が入場者を出迎える。この教会の内部はちょっとした美術館になっていて、その他にも洋画が幾つも並んでおり、一歩足を踏み入れただけで中国から東欧に瞬間移動してしまったかのような錯覚すら覚える。
確かに、この教会は際立った存在である。しかし、それでいて決して街並みから浮いていないのは、ここハルビンならではのことなのであろう。
聖ソフィア教堂から少し歩くと、北京の王府井、上海の南京路にも当たる中央大街に出る。この街道は、両側に並ぶロシア風建築物もさることながら、路面が石畳になっている点も欧風である。歩行者天国になっているとはいえ、中国の大都市でこうした石畳の大通りは珍しい。
中央大街を抜けると、市内を流れる松花江に突き当たる。大きな河ではあるが、昨日国境の河・黒龍江を見たばかりの私の目には、さほど心をとらえるものには映らなかった。しかし、日曜日ということで地元市民で賑わっている光景は、やはりここが市民の憩いの場であることの証であろう。
この他、黒龍江省博物館や、東北烈士紀念館などを訪れたが、私の興味を引いたのが、東北烈士紀念館における緑川英子に関する展示である。
緑川英子は、山梨出身のエスペラント(世界語)運動参加者で、中国人の夫と1937年に中国に渡り、日中戦争勃発後はエスペラント者の立場から反日本帝国主義運動に身をささげる。同紀念館に掲示されていた「愛与憎(愛と憎しみ)」には、日本人として日本を愛しながらも、日本の中国に対する侵略行為を許せないという気持ちが、熱く、静かに記されている。
中国人の夫を持ち、中国に渡って中国の人々との交流があったという特別な事情があったとはいえ、当時の日本人の中にもこうした“良心”があったことに、同じ日本人として、少し救われた気持ちになった。
緑川英子は、山梨出身のエスペラント(世界語)運動参加者で、中国人の夫と1937年に中国に渡り、日中戦争勃発後はエスペラント者の立場から反日本帝国主義運動に身をささげる。同紀念館に掲示されていた「愛与憎(愛と憎しみ)」には、日本人として日本を愛しながらも、日本の中国に対する侵略行為を許せないという気持ちが、熱く、静かに記されている。
中国人の夫を持ち、中国に渡って中国の人々との交流があったという特別な事情があったとはいえ、当時の日本人の中にもこうした“良心”があったことに、同じ日本人として、少し救われた気持ちになった。
4日間の黒龍江訪問を終えた私は、東北地方で唯一残る未到達省・吉林省の長春へ向け、列車でハルビンを後にした。
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