世界への旅(旅行記)
> 中国・雲南、貴州
北京大学 ~中国の最高学府
2002年2月6日
午前9時半、北京行きの便が貴陽空港を離陸。退屈で冷え冷えとした貴陽をようやく脱出できたと同時に、2週間もの間私を楽しませてくれた南方とも、これでお別れだ。
北京に到着して真っ先に訪れたのが、北京駅の外国人専用切符売場(駅構内に入って左奥の、軟席待合室内にある)だ。何分にも、春節の長期休暇。大連への寝台切符が購入できるかどうか、微妙なところだ。
(まあいいさ。鉄道が駄目なら、また天津から船に乗ればいいことだ)
そんな気楽な気持ちで窓口の服務員に尋ねたところ、実にあっさりと翌日の切符を買い求めることができた。これで一安心。私は常宿のユースホステルに入り、荷物を下ろして北京の街に出た。
街中は貴陽以上に寒く、頤和園の昆明湖も以前訪れた時と同様、氷が張っていたが、この時期の北京が寒いのは当たり前。そう思えば十分、耐えることができる。
北京大学の西門
(まあいいさ。鉄道が駄目なら、また天津から船に乗ればいいことだ)
そんな気楽な気持ちで窓口の服務員に尋ねたところ、実にあっさりと翌日の切符を買い求めることができた。これで一安心。私は常宿のユースホステルに入り、荷物を下ろして北京の街に出た。
街中は貴陽以上に寒く、頤和園の昆明湖も以前訪れた時と同様、氷が張っていたが、この時期の北京が寒いのは当たり前。そう思えば十分、耐えることができる。
北京大学の西門
頤和園を訪れたついで、と言うよりはついでに訪れた頤和園からの帰り道、私は中国の最高学府を訪れた。北京大学(北大)である。現在、留学先で使用している教材も北大出版社のものが少なくなく、親近感にも似た感覚を抱くようになっていたこともあったが、それ以前に、中国の留学生としてこの国の最高学府を一目見たいという気持ち、中国史を研究していた者として、五四運動や天安門事件など、時代を震撼させた出来事の主役となった大学を見ておきたいという気持ちが、私に足を運ばせた。
頤和園からしばらく歩いて北大の西門にたどり着いたが、まずこの門から他の大学とは雰囲気が違う。中国伝統の建築様式を採用した、鮮やかな朱色が際立つ。西門近くの校舎群も同じような様式で、とても大学の校舎には見えない。
公園のよう。北京大学敷地内の未名湖 しばらく歩くと未名湖が見えてくる。「名無しの権兵衛」という意味の妙な名前だが、かつては単なる通称だった。名前を付けるに際して、結局は以前から使われていたこの通称が正式名称になったという、奇妙な経緯がある。
この湖近辺の光景は「大学には見えない」を通り越して、既に大学ではない。近くには古めかしい塔まで建っていて、さながら公園、あるいは風景区といった趣だ。
構内をぶらぶらした後、近くの食堂で夕食。気分はすっかり北京大学生だ。5度目の訪問で北京はすっかり飽きてしまった感があるのだが、この大学の環境は悪くない。
頤和園からしばらく歩いて北大の西門にたどり着いたが、まずこの門から他の大学とは雰囲気が違う。中国伝統の建築様式を採用した、鮮やかな朱色が際立つ。西門近くの校舎群も同じような様式で、とても大学の校舎には見えない。
公園のよう。北京大学敷地内の未名湖 しばらく歩くと未名湖が見えてくる。「名無しの権兵衛」という意味の妙な名前だが、かつては単なる通称だった。名前を付けるに際して、結局は以前から使われていたこの通称が正式名称になったという、奇妙な経緯がある。
この湖近辺の光景は「大学には見えない」を通り越して、既に大学ではない。近くには古めかしい塔まで建っていて、さながら公園、あるいは風景区といった趣だ。
構内をぶらぶらした後、近くの食堂で夕食。気分はすっかり北京大学生だ。5度目の訪問で北京はすっかり飽きてしまった感があるのだが、この大学の環境は悪くない。
2002年2月7日
夜まで時間は空いているが、北京はもう見尽くした感がある。まだ訪れていない所と言えば、慕田峪と司馬台の長城ぐらいだ。しかし、出発をのんびりとしすぎたために、観光専用バスを乗り過ごしてしまった。
「慕田峪か司馬台? 車をチャーターすることになるけど、1人じゃ割が合わないよなあ」
宣武門のバス停近くにいたタクシーの運転手とおぼしき男性にそう言われ、今回は訪問を断念。北海公園、王府井などをぶらぶらしたり、書店巡りをしたりして、夜までの長い時間を潰した。
あとは列車内で1泊。翌朝、16日ぶりに大連に帰着した。
「慕田峪か司馬台? 車をチャーターすることになるけど、1人じゃ割が合わないよなあ」
宣武門のバス停近くにいたタクシーの運転手とおぼしき男性にそう言われ、今回は訪問を断念。北海公園、王府井などをぶらぶらしたり、書店巡りをしたりして、夜までの長い時間を潰した。
あとは列車内で1泊。翌朝、16日ぶりに大連に帰着した。
今回の旅は、少し体調を崩しかけたことを除いて、珍しくトラブルも無く、心底楽しむことができた。とりわけ印象に残ったのが、非漢民族の文化だった。半年前の旅でも蔵族や回族と接する機会はあったが、今回は旅全体が非漢民族との触れ合いであり、非常に新鮮だった。
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