デプン寺 ~侵略の爪跡
2001年8月5日
午後から参観したのは、街から少し外れた所にある、チベット仏教ゲルク派の僧院・デプン寺。ずらりと並んだ金色のマニ車や、山の斜面の岩に描かれたツォンカパ大師の仏絵がひときわ目を引く。
境内は大規模で、ツォクチェン(大集会所)やガンデン・ポタン(寝殿)をはじめ、幾つもの建物が立ち並ぶ。中でもガンデン・ポタンは、ポタラ宮完成前のダライ・ラマ5世の拠点となった場所である。
デプン寺
ガンデン・ポタン
何気なく裏側を見ると、寺の一部が破壊された跡がある。私はチベット人のガイドに尋ねた。
「あれは、解放軍がやったのですか?」
その問いに、ガイドは曇った表情で「そうだ」と答えた。そして、そっとつぶやいた。
「解放軍糞食らえ!」
また、寺の壁に文化大革命(文革)のスローガンが書かれたりしていて、当時の爪跡がまだくっきりと残っている。一時は1万人はいた僧侶も文革などでぐっと減ってしまったという。まさに文革は狂気の、悪夢の時代だったのだ。
<後日談>
デプン寺ほかチベットの寺院の破壊は文革期に始まったことではなくそれ以前から行われていたということは、この時から随分経った後に知ることになる。
中国共産党軍による破壊の跡
生々しい文革の爪跡
それでも、中庭で展開される僧侶たちの問答の様子はなお熱気が感じられる。何かを言い終わるたびに手を打ち鳴らす「パァン!」という音は、文革の傷や、人が持つ全ての煩悩を全てかき消してくれるかのように、心地よく辺りに響き渡っていた。
デプン寺で行われていた問答
ここでも私たちはまた、途中でばらばらになってしまい、先に参観を終えたものから駐車場で他の皆が帰ってくるのを待っていた。すると、物乞いの女の子が1人の日本人にまとわりついてくる。どうやらお金を欲しがっているのではなさそうだ。よく見ると、女の子は彼のリュックについていた「たれぱんだ」の南京錠に興味を示しているようだった。
「だめだよ。これは大事なものだから、あげられないよ」
それでも女の子はまとわりついてくる。貧しさの中にも子どもらしい純粋さは失われていなかったか ―― 哀しさの中にも、何とも微笑ましい光景を見させてもらった。
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