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チベット旅行のツボ

チベットとは

チベット地図

■地理
インド・ネパール・ブータン・ビルマ(ミャンマー)・東トルキスタン(ウイグル)・中国と国境を接する、チベット族の居住区で、現在中華人民共和国が言うところの西蔵自治区、青海省、四川省西部、甘粛省東南部の一部、雲南省西北部一帯のエリア。世界最高峰・チョモランマ(エベレスト)やカイラス、梅里雪山等を擁する、平均海抜4000m以上の高山地帯である。
本来の首都はラサだが、亡命政府は現在インド・ダラムサラにある。

■歴史
7~9世紀にはソンツェン・ガムポを始祖とするチベット初の統一王朝王国が栄え、吐蕃の名で中国に恐れられる。
13~14世紀にはモンゴル元朝の保護を受けるものの、チベットが寺、元が檀家のような関係(ユ・チュン)だったといわれる。
1642年、オイラート族(モンゴル系)のグシ・ハンによる青海ホショト部の下、ダライ・ラマに寄進されたウ・ツァン地区にガンテンポタンというダライ・ラマを中心とする政府が成立。しかし内紛と、満洲族の清朝の介入で18世紀初頭、グシ・ハン王朝は滅亡。その後、清がチベットに影響力を及ぼすようになり、ガンテンポタン側に駐蔵大使が送り込まれたりする。しかしそれでも、ダライ・ラマを中心とする体制に変わりはなく、清朝がチベットを実効支配していたということは全く無い。
清朝滅亡後の1912年、独立を宣言。以後はイギリスの後ろ盾を受ける。しかし第2次大戦後、中華人民共和国が成立すると人民解放軍の侵攻を受け、詐欺同然の「17か条協定」を突きつけられて1951年、チベット史上初めて中国の占領下に置かれる。その後、1959年に"チベット暴動"が発生し、それが中国に弾圧された際にダライ・ラマ14世がインドに亡命するに至る。1989年、民族独立の気運が高まる中、当時チベット自治区共産党書記長だった現中国国家主席・胡錦濤により戒厳令が敷かれる。更に、胡錦濤体制下の2008年、独立を求めるデモに対し中国当局による弾圧が行われた。

■文化
独自のチベット仏教が栄え、ポタラ宮、ジョカン、タシルンポ寺等のチベット仏教建築が目を引く。
ヤク等の牧畜や鉱業が盛んである。

※「世界への旅チベット」の「概況」を再編。


<参考>「チベット本土へ旅行する方へ」(外部リンク)

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