山陽・山陰西部100名城(4)―岩国城
2025年5月3日
広島城の攻城を終えた私は、昼前にJR山陽本線の普通列車に乗り込んで西へ向かい、広島・山口の県境を超えて2つ目の岩国駅で下車。岩国市内を流れる錦川までバスで移動して、江戸時代に創建された5連の木造アーチ橋・錦帯橋に行き着く。
その錦帯橋の背後に聳える、標高216mの横山の山頂に天守閣が見える。あれが今回目指す岩国城(100名城No.74)だ。
横山山頂に佇む岩国城天守。手前が錦帯橋前日とこの日に訪れてきた郡山城、広島城の城主だった毛利氏は、関ヶ原の戦いで西軍の総大将として敗軍の将となって存亡の危機を迎える。その時毛利氏の存続に奔走した吉川広家がその後岩国に封ぜられて築城したのがこの岩国城だ。錦川に囲まれた麓に平時の居館となる「土居」が、山上に戦時の城「横山城」が築かれ、1673年には土居と城下町を繋ぐ形で錦帯橋が築かれている。土居は現在、吉香公園として整備されているが、香川家長屋門など当時の趣も随所に残っている。
岩国城土居 香川家長屋門
岩国城ロープウェイ岩国城天守に至るには、錦帯橋の通行(往復)、ロープウェイ(往復)、天守入城で有料となるが、これら全ての通し券が僅か900円なので、お得感すらある。
錦帯橋を渡ってロープウェイ麓駅へ。折しもゴールデンウィーク(GW)で長蛇の列となっていて、通常なら15分おきのロープウェイ運行も着いて客を乗せたらすぐ出発のピストン運行になっていた。
ロープウェイで山頂に到着。山頂駅から天守までは2通りの道がある。1つは左側の舗装された「広い道」、1つは右側の「山道」。私は行きを「広い道」、帰りを「山道」で巡ることにした。
岩国城 旧天守台「広い道」を大釣井などを経て歩いていると、主のいない大きな石垣に行き当たった。吉川広家が築城した際に天守が築かれた天守台である。山の上の横山城は1615年に江戸幕府の一国一城令により天守も含めて破却され、旧天守台は天守が本来の位置から30m程南に復元されてから約30年後、20世紀末の発掘調査で再び日の目を見て、修復された。ちなみに復元天守が本来とは違う位置に再建されたのは「麓から錦帯橋とセットで見えるように」という観光のための"配慮"があったためだという。
岩国城 天守旧天守台のところで右折してすぐ、岩国城の再建天守が来る者を出迎えてくれる。4重6階の唐造りで、4階部分が張り出しているのが特徴的だ。
天守の最上階に上ると、かつての土居、錦川と錦帯橋、城下町だった岩国の街並み、そして瀬戸内海まで見渡すことができる。復興天守をずらして建設したのは麓からの眺望と同時に、城からのこの眺望も配慮してのことだという。
岩国城天守からの眺望天守に辿り着いて岩国城に達成感を覚える方もいるかもしれないが、天守から更に少し奥へ行くと、北の丸や空堀などを見ることもできるので、余すことなく山頂の城跡を巡るようにしたい。
岩国城 空堀
岩国城 大手門岩国城を満喫したところで、帰りは天守の一段下にある二の丸の大手門から「山道」を下ってロープウェイ山頂駅へ。ゴンドラに揺られて一気に山を下る。
この日の城巡りはこれで終了。岩国からは山口セントラルパスというお得な切符を駆使してJR山陽本線、山口線を乗り継いで山口駅へ。翌日の城巡りはまず、この駅が最寄りだ。駅から次の城へ700mほど近づいた場所にある宿で、体を休める。
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