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日本100名城

100名城探訪記

大分100名城(2)―大分府内城

2025年3月21日

大分・中津から青春18きっぷで長距離移動。9時13分発の普通列車で約1時間40分かけて大分市へ。ここで2泊して拠点とし、大分各方面の城を3日かけて巡ることになる。
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大分駅前の大友宗麟像
大分駅の北口に出てみると、何やら大きな洋装の銅像が立っている。タイトルを見ると「大友宗麟」とある。戦国時代に豊後の国一帯を支配した戦国大名だ。洋装なのは彼がキリシタン大名だったからだろう。
駅近くの宿に大きな荷物を預けて、まずは徒歩圏内にある名城へ向かう。
10分ほど歩いたところで、堀の向こうに石垣と白い城壁と櫓(西南隅櫓)が見えてきた。大分府内城(100名城No.94)である。
大分府内城は先程駅前で銅像を見た大友宗麟よりも少し後に築かれた城だ。大友氏は宗麟の子・吉統が豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に敵前逃亡を咎められて改易となっており、大分府内城はその後入封した福原直高が築城を始め、引き継がれて江戸時代初期に完成したものである。 写真
大分府内城の城壁と堀
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大分府内城 大手門
火災、明治の廃城令、第2次大戦などで、本丸跡の人質櫓と西丸の宗門櫓が現存する以外は建物は失われ、20世紀後半に大手門や櫓、塀などが外観復元されている。
大手門から中へ。ここに設置されている100名城のスタンプを頂いた後、中に進む。かつては入ってすぐに内堀もあったのだが埋め立てられ、西丸と東丸は現在殆どが駐車場となっている。
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大分府内城 天守台
奥の本丸跡まで進むと、約20m四方の天守台が鎮座している。ここには17世紀初期に竹中重利によって4重5階の天守が築かれたが、1743年の大火で焼失し、以後再建されることなく現在に至っている。その北側には、現存する人質櫓の姿を見ることができる。 写真
大分府内城 人質櫓
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大分府内城 廊下橋
北西に架かる廊下橋を渡って城外北側へ。堀の北東隅まで進んでみると、堀の向こうに人質楼から東丸北東角二階櫓まで見渡せる。ここが大分府内城随一のビューポイントではないだろうか。 写真
堀の北東隅から望む大分府内城
そこから塀の向こうに天守台を見ることもできた。あの上に天守が建っていた様子を想像してみると、かなりの存在感になりそうである。いつか復元される日は来るのだろうか?

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