バス憧れの大地へ

日本100名城

100名城探訪記

南紀続100名城(1)―新宮城

2024年12月8日

午前7時半、前日午後11時に横浜を出発した夜行バスが和歌山県東南の新宮市に到着。この日はここを拠点に南紀の続100名城の2城を目指す。
新宮駅前のコンビニエンスストアで朝食を頂き、この日泊まる宿に荷物を預けて早速、1つ目の名城・新宮城(続100名城 No.167)へ歩いて向かう。
新宮城は、関ヶ原の合戦後、紀州藩主となった浅野幸長の重臣・浅野忠吉が築城を開始した総石垣の平山城だ。一国一城令で一度廃城になるも忠吉が再築し、大・小の天守や二ノ丸(鐘ノ丸)が設けられた。
東西2つある登城口のうち、東側の坂道から登城開始。程なくして、下にJR紀勢本線の線路を見下ろす場所があり、ここから線路は足元のトンネルへと吸い込まれていた――そう。新宮城の城山は紀勢本線の線路に貫かれていたのである。 新宮城の城山
新宮城の城山
新宮城本丸へ向かう階段と天守台跡
新宮城本丸へ向かう階段と天守台跡(右上)
坂道を上り切って駐車場に着くと、またヘアピンカーブのように本丸への階段が続く。排水樋が設置された石垣を横目に階段を歩いていると、上の方に天守台跡が見えてきた。
階段を上った先の二の丸広場の上に築かれた天守台を含む石垣が、本丸の石垣だ。南側石垣はその形状から「屏風折れ」と呼ばれている。 新宮城 本丸南側石垣(屏風折れ)
新宮城 本丸南側石垣(屏風折れ)
石垣の西側から本丸にアプローチすると、本丸門渡櫓門)が来る者を出迎える。厚さがあり、重厚な門だ。木造の門があった姿を想像してみると、なかなか迫力のあるイメージが浮かぶ。
門をくぐった正面には「亀甲積み」の精巧な石垣積みを見ることができる。 新宮城 本丸門(渡櫓門)
新宮城 本丸門(渡櫓門)
本丸広場を横切って一番奥まで進むと、広場の外、熊野川を見下ろす山の端に出丸が設けられている。天守台から見て本丸の対角線上にあるこの曲輪――天守台が城下町や街道に目を光らせ、出丸が熊野川に目を光らせる、という役割分担があったのかもしれない。 新宮城 出丸
新宮城 出丸
本丸を巡った後は、来る時とは違う方向へ。広々とした鐘ノ丸(二の丸)、松ノ丸(三の丸)を経て、南曲輪(二の丸)を横目に、西側の登城口から出る。 新宮城南曲輪(二の丸)跡の石垣
新宮城二の丸(南曲輪)跡の石垣
新宮城 水ノ手曲輪
新宮城 水ノ手曲輪
城跡の東500mほどの場所にある新宮市立歴史民俗資料館で続100名城のスタンプを頂いた後、まだ時間があったので城山全体を見渡せる場所へ行ってみることにした。
城山の東から西へと移動する途中、熊野川の畔に行ける道を見つけたので、「あそこへ行けるのでは?」と思ってちょっと寄り道。河畔に出て城山の方へと歩いてみると、思った通り、熊野川の水辺に面した水ノ手曲輪に行き着くことができた。
※旅が終わった後、水ノ手曲輪には松ノ丸から直接下りることもできると知った。 熊野大橋から望む新宮城城山
熊野大橋から望む新宮城城山
新宮城の城山を見渡せるスポットは、熊野川に架かる熊野大橋。時間が悪く逆光で影がかかってしまっていたが、順光であれば石垣をはっきりと見て取ることもできたことだろう。

新宮城を楽しんだ後、次の城へ。新宮駅から紀勢本線に乗車。熊野川を渡って隣県の三重に入り、阿田和駅で下車。乗り継ぎ時間が1時間以上になったので、七里御浜を楽しんだり、昼食(南紀名物のめはり寿司とさんま寿司)を取ったり、道の駅を散策したりした後、バスで次の城の最寄りバス停へと向かった。

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