四国100名城(5)―引田城ほか
2024年11月3日
勝瑞城を探訪した後、次の城へ向かう鈍行列車まで空き時間ができたので、勝瑞駅から1つ先の板東駅から歩いて回ることができる、鳴門市の第1番札所・霊山寺と第2番札所・極楽寺をお遍路。特に霊山寺は最初の札所であり、折しも日曜日だったこともあって、参詣客で大いに賑わっていた。
第1番札所・霊山寺
第2番札所・極楽寺霊山寺から最寄りの阿波川端駅に到着する頃にはちょうど列車の時間になり、ここから高徳線の列車に乗車。徳島から県境を跨いで昨日訪れた香川県に戻り、1つ残してしまっていた名城を目指す。
東かがわ市の引田駅で下車し、目指したのは引田城(続100名城 No.177)。瀬戸内海に面した「城山」と言われる山に築かれた平山城で、戦国時代には羽柴秀吉の命で仙石秀久が引田を攻めて入城するも引田表の戦いで土佐の長宗我部軍に敗れて一旦城を失い、秀吉の四国征伐の後は秀久の再入場の後、讃岐の国に封ぜられた生駒親正の居城となる。親正は本拠を聖通寺城、更には高松城へと移すが、引田城はその後も一国一城令で廃城となるまで支城として存続した。
引田駅から引田城の登城口までは徒歩20分ほど。途中、讃州井筒屋敷で続100名城のスタンプを頂き、引田港で岬になっている引田城の全景を眺めた後、いざ、登城口から登城開始。
引田港から望む引田城全景
引田城登城口引田の街や瀬戸内海を望むことができる烽火台などを経て山道を登ること10分弱、本丸の立派な石垣に出迎えられた。ここから先が引田城の核心部である。周回になっている散策路を私は時計と反対回りで歩き始めた。
引田城本丸石垣本丸の分岐から歩き始めて間もなく、天守台跡とされる展望のいい場所に出た。引田城の天守の詳細は不明だが、天守があったとすればここに間違いないだろう、と思わせるロケーションだ。引田の街や瀬戸内海を一望でき、麓からも天守の姿を見ることができただろう。
引田城天守台跡
引田城 化粧池石垣が残る化粧池を経て、引田灯台に行き着く。ここが周回路のほぼ中間点だ。
引田灯台の先には東の丸が横たわるが、この辺りは道の行き先を真っすぐ見るばかりではなく、左右にも目を配った方が、かつての曲輪跡や石垣跡をよく認識できるだろう。
東の丸の先の分岐から、一旦周回路を抜けて北曲輪への分かれ道を進む。
その途中、北二の丸には当時の大石垣が残るが、崩落の危険性がありシートで保護されている。
しかし、北二の丸の石垣は上段と下段の2つがあるのだ。シートで覆われた上段の石垣から坂道を下りてみると、重厚な下段の石垣の威容を見ることができる。
引田城北二の丸の大石垣周回路に戻り、本丸の分岐へ。これで周回路を巡り終えたことになる。
本丸跡は先程、石垣を目にしてはいたが、まだ曲輪の中までは踏み込んでいなかったので、城山を下りる前に訪れる。
本丸跡は天守台跡よりも城下町がよく見える位置にあり、ここに櫓もしくは展望台があって城下に目を光らせていたことが想像できた。
引田城本丸跡引田城の探訪を終え、城山を下りて引田駅に向かうが、まだ少し時間があったので、来る時にスタンプを頂いた讃州井筒屋敷をもう一度訪れる。江戸時代より醤油と酒造りを行っていた商家をリニューアルした施設で、当時の趣を漂わせている。
讃州井筒屋敷
第3番札所・金泉寺徳島市に戻る前に、もう一つ、行っていない高徳線沿線のお遍路札所があったので、板野駅で下車して第3番札所・金泉寺を参詣して、この日の予定は終了。今回の四国旅最終日となる明日は、残る徳島の名城と、徳島城の行き残した場所、そして徳島市内のお遍路札所をできるだけ巡る予定だ。
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