バス憧れの大地へ

日本100名城

100名城探訪記

三重100名城・2024年―多気北畠氏城館、田丸城

2024年10月5日

前日東京から乗車した夜行バスで朝の6時半頃、三重県・松阪駅に到着。
松阪には前年12月に松阪城などの城巡りとみえ松阪マラソン出場のため既に訪れていたが、その時はマラソンの前後に訪れるには厳しい山城への登城を見送っていたので、今回はその時の「忘れ物」を回収しに来た格好だ。
駅近くで朝食後、7時32分、JR名松線の列車に乗車して、松阪を出発。家城駅で一度乗り換えた後、同線の終着駅である伊勢奥津駅に到着する。 JR名松線(家城駅にて)
JR名松線(家城駅にて)
JR名松線 伊勢奥津駅
JR名松線 伊勢奥津駅
伊勢奥津駅から目的の城への公共交通機関は津市コミュニティバスがあるが、通常は平日のみの運行。この日は土曜日だったので通常なら駅に隣接する観光案内交流施設 ひだまりでレンタサイクル(電動アシスト)を借りて行くところなのだが、GW・10月・11月の観光シーズンには土日祝も臨時便が出る。私はその臨時便に5㎞ほど乗って北畠神社前バス停で下車し、ひとまずの目的地に到着した。
今回目指したのは、多気北畠氏城館(続100名城 No.153)。南北朝時代、南朝方だった伊勢国司の北畠顕能によって築かれた居館と、西背後の霧山の上に築かれた詰城霧山城と併せて「多気城」を構成する城である。 多気北畠氏城館の建物跡
多気北畠氏城館の建物跡
北畠顕家像と「中世館跡として日本最古の石垣」
北畠顕家像と「中世館跡として日本最古の石垣」
バスを降りて、まずは背後の入り口から入城。城館の建物跡や「中世館跡として日本最古の石垣」、北畠顕家(築城主である北畠顕能の長兄)の銅像などを見ることができる。
続100名城のスタンプを社務所横で頂いた後、入園料300円を支払って北畠氏館跡庭園を参観する。「多気御所」と呼ばれる旧居館の、中世文化の風情が感じられる最大の見どころだ。
立石枯山水や池のほか、楓が印象的なこの庭園。時期があと1か月ぐらい後だったら鮮やかな赤の紅葉を拝めただろうが、緑の楓もこれはこれで鮮やかで、悪くない。 北畠氏館跡庭園
北畠氏館跡庭園
ここまで見ただけでもこの城を「一応」訪れたことにはなるかもしれないが、やはり霧山城の本郭まで行かないと、この城を本当に制覇したことにはならないだろう。私は表の入り口から延びる登山道をいざ、霧山城本郭を目指して登り始めた。 霧山城への登山口
霧山城への登山口
北畠氏館 詰城(曲輪A)
北畠氏館 詰城(曲輪A)
登山口から10分足らずで、詰城に到着。下段の曲輪A(腰曲輪)、上段の曲輪B(主郭)から成っている。
更に15分ほど山道を登った先が、霧山城の南曲輪である。本筋から分かれて上に延びる急坂を上った先が、南曲輪の核心部である鐘撞堂跡だ。 霧山城 鐘撞堂跡
霧山城 鐘撞堂跡
霧山城 矢倉跡
霧山城 矢倉跡
鐘撞堂から坂を下りて本筋に戻り、最後のひと登り。行き着いた先にあったのが、矢倉跡とされる曲輪だ。まだ本郭ではなさそうだが、ここで道は終わっている。隣にまだ一段高い場所があるのでその上が本郭かと思われるが、どこかで道を見落としていたのだろうか。
周りをよく見ながら山道を少し下りてみると、どうやらその一段高い場所に向かっていると思われる分かれ道が見つかった。その道を登ってみると、果たしてその先の山頂に、霧山城の本郭が横たわっていた。土塁に囲まれていて、中央がなだらかに凹んだすり鉢状になっている。 霧山城 本郭
霧山城 本郭
以前近くまで来ながら事情があり訪れることを見送った山城の最深部に、ようやく辿り着くことができた――感慨もひとしおだった。

霧山城を30分足らずで下山。往路のバスを降りてから復路のバスまで3時間の参観時間を確保していたが、1時間以上余ってしまった。近くの津市美杉ふるさと資料館や道の駅 美杉で時間を潰した後、バスで伊勢奥津駅へ。更に名松線で来た道を、松阪まで戻る。

松阪には松阪城があるが、前回訪れ、100名城スタンプも済みだったので今回は訪れず。しかし、前回訪れながら心残りがあった城が近くにもう1つあったので、そちらは再訪することにした。
それは、田丸城(続100名城 No.154)。多気北畠氏城館と同じく、北畠氏の城だ。
松阪からJR紀勢線・参宮線で3駅南の田丸駅で下車。歩いて10分足らずで二の門に到着する。
登城する前に、二の門のすぐ前にある村山龍平記念館を訪問。スタンプは既に取得済みだが、2回の展示室で田丸城にかつて存在した天守の復元模型を参観。3層で立派な千鳥破風を有する、なかなか立派なものだったようだ。その姿を目に焼き付けて、いざ登城へと向かう。 田丸城 二の門
田丸城 二の門
村山龍平記念館の田丸城天守模型
村山龍平記念館の田丸城天守模型
先ほど書いた田丸城に関する「心残り」は、実はその天守に関わるものだった。
前年12月に訪れた時、田丸城の天守は現存せず復興もされていないという予備知識の下、ならば想像力を働かせてみようではないかと挑んだところ、こともあろうにイルミネーションイベントのため、鉄パイプで組まれた本来のものとは程遠い「天守のような形をしたチャチとしか言いようのないハリボテ」が天守台に据え置かれていたのだ。
「風情も何も無く、イマジネーションを邪魔するものでしかない、歴史のロマンぶち壊しの愚行」
と激しく憤ったものだった。なので、多気北畠氏城館を訪れる際には、余計なものが無い田丸城も絶対再訪したい、と考えていたのだ。
二の門から坂道を比高20mほど上に上がった所に、田丸城の本丸はある。辿り着くとそこには... 田丸城本丸広場の天守台
田丸城本丸広場の天守台
「余計なハリボテ」が取り除かれた天守台が待ち受けていた。建造物の無い素のままの石垣だが、あの醜悪な物体があるよりは遥かにいい。先ほど村山龍平記念館で見たミニチュアを想像力で重ね合わせれば十分に往時の姿に思いを馳せることができる。
天守台の上に上がってみると、前回は塞がれていた石垣内部の地下室跡を確認できたり、遮るものの無い下界の田園風景を楽しむことができた。 田丸城天守台内側
田丸城天守台内側
田丸城天守台から望む眺望
田丸城天守台から望む眺望

「天守のような形をしたハリボテ」が設置される、訪問を避けるべき時期
・春:3月下旬~4月上旬
・冬:12月上旬~1月下旬

これでリベンジ達成。高揚感に満たされた心で田丸城を一巡りして、帰途に就く。
ちょっと慌ただしかったが、今回の城巡りはこれで終了。名古屋まで出て、新幹線で神奈川・川崎の自宅へと戻った。

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