琵琶湖周辺100名城(2)―安土城
2023年9月2日
八幡山城の登城を果たした私は、東海道線の各駅停車で東へ1駅だけ移動する。
到着したのは、安土駅。まずは南口に出て、安土城郭資料館へ。これから訪れる城の模型などを見たほか、これから訪れる2つの名城のスタンプを先に頂いた。
安土城郭資料館の城の模型
安土駅と織田信長像その後、地下道をくぐって反対側の北口へ。この地を語るには欠かせない、織田信長の銅像が来る者を見下ろすように立っていた。
北口にはレンタサイクルの店が幾つか並んでいる。戻りの時間がやや遅くなると思った私は、その中で一番遅くまでやっている店を選んで自転車を借り、いざ、この地の名城巡りに繰り出す。
安土城が建つ安土山まず目指したのは、安土城(100名城 No.51)。言わずと知れた、先ほど安土駅の前で銅像も目にしたばかりの、足利幕府を滅ぼして天下に号令をかけんとした織田信長の居城だった、名城中の名城である。とはいえ、信長が本能寺の変で討ち死にした後に謎の失火で、5重6階地下1階という大きさの天守をはじめとする建造物を焼失し、先ほど訪れた八幡山城に城下町を奪われる格好となって以降、建物の再建はされていない。
安土城は標高200m程の安土山に建てられた山城だ。料金所(ここにも安土城の100名城スタンプはある)をくぐると、火災を生き延びた石垣を従えた大手道の石段が、壁のように立ちはだかる。
「俺の居城に来ようとするのなら、これくらいの苦労は甘んじて受けてもらおうか」
信長のそんな声が聞こえたような気がした。
安土城大手道の石段
この石段の途中にも、羽柴秀吉邸跡、前田利家邸跡と伝えられる曲輪が残っている。信長が安土城内に建てた摠見寺の仮本堂がある場所は、徳川家康邸跡と伝えられる曲輪だ。
羽柴秀吉の居館跡
大手道石段の「石仏」石段を上がっている途中、足元に気になるものを見つけた。敷石の中に、仏様が刻まれたものがあったのである。
この「石仏」、城の石材を集める際に石仏や墓石も集められたことを示している。明智光秀が福知山城を建てた時も同じようなことが行われたと聞くが、比叡山を焼き討ちした織田家中ならありそうな話で、何とも痛ましい。
織田信忠邸、森蘭丸邸などを経て、黒金門を過ぎたところで、ようやく平らになってくれた。先の方にまだ石段はあったものの、これまでと比べて遥かに傾斜は緩い。
黒金門から本丸へ向かう石段が直角に曲がる箇所に、今度は「仏足石」なるものがあった。大きな黒い石の上部に、左右の足跡が刻まれている。これも先程の「石仏」同様、建材として集められたものらしい。
仏足石
安土城本丸
信長公廟のある二の丸を経て、本丸へ行き着く。しかし、本丸からも更に石段が続いている。本丸の先にあるものといえば、もうあれしかない。
天守台跡。
四方30mほどの石垣に囲まれた敷地で、当時の礎石が地面に露出している。
周りの石垣に階段が設置されていたので上ってみると、琵琶湖を望むことができる。信長もここから、その向こうにある京の都に睨みを利かせていたのだろう。
建物は再建されていないので、先程安土城郭資料館で見た模型を思い出して、「ここにあの壮大な天守があったのか」と、脳内で補完してみようとするが――何か、イメージしていたよりも狭い気がする。
安土城天守台その違和感を解消する手掛かりは、天守台隅の説明板にあった。実はこの地面、天守の地下部分で、本来の天守台はその周りに更に広がっていて、現在残っているものの2倍半ほどあったという。焼失した安土城が再び調査されるのは1940年まで待つことになり、その間に天守台の石垣は大きく崩壊してしまったということだった。
それを知って、2つのことに合点がいった。
1つは、安土城の天守跡を見て「狭い」と感じた理由。
そしてもう1つは、安土城の天守が再建・再現されない理由――天守台が破損して、建てようにも建てることができないのだ。
安土城という戦国時代最大のロマンを現地で実感するには、見る側のイマジネーション力に委ねられているということになるか。
天守台・本丸から下界に戻る。上りで辿った大手道の石段は余りに急峻で、上るよりも下る方が歩きにくいのでは?と感じたが、やはりと言うか石段の直前から帰路は別に設けられた。
摠見寺本堂跡
三重塔
仁王門
その途中にも、先述した摠見寺の本来の本堂があった跡地があり、傍らには信長がここに移築したものが今も残る重要文化財・三重塔が建つ。更に先には、やはり重要文化財である仁王門がある。
安土城の訪問を終えて、自転車で次の城に向かう。
東海道線の高架下をくぐり、次の城がある繖山(きぬがさやま)の麓まで来たが、ここにもう1つ訪れたい場所があったので寄り道。安土城天主 信長の館だ。
安土城天主 信長の館
安土城天主 信長の館の安土城想像図(ミニチュア)ここでは安土城天守の上2層を原寸大で再現している。但し、この再現天守は著作権の関係で写真をネット上に公開することは不可となっているので、ミニチュアの方の写真でご容赦を。
ところで、私が今回の城巡りの旅をしようと思い立ったのは急遽のことだった。そのきっかけになったのは「「幻の安土城」復元プロジェクト・『特別史跡安土城跡整備基本計画』完成~「令和の大調査」20年事業いよいよスタート!」というニュースだ。
それによると、この年(2023年)の秋から、安土城の実像解明と保全などのために発掘調査や石垣修理などを20年かけて行うという。となると、この先、安土城の散策に部分規制などが実施される可能性がある。そうなる前に安土城を自由に巡り歩こう、ということで「秋」に入るギリギリのタイミングで訪れたという訳だった。
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