2022年5月1日
2022年ゴールデンウィーク。
昨年は新型コロナウィルス(以下『コロナ』)の状況が落ち着かず、旅行に行きたいところを断念せざるを得なかった。
今年もまだコロナは元気だが、重症化の懸念は下がり、緊急事態宣言も蔓延防止措置も無い状態だ。私自身も、3度目のワクチンを接種し、先日長野マラソン参加の際に抗原検査で「陰性」のお墨付きを頂いた。
よし。
行くか。
ということで、今年のGWは久々に、JALもANAもマイレージ賞味期限切れが迫っていたこともあって、飛行機に乗って国内旅行に出かけることにした。
5月1日午前8時。羽田から久しぶりに旅客機のシートに身を委ねて、空へと飛び立つ。
向かったのは、福岡。
上空にいる間は雲で何も見えなかったが、着陸寸前、雲の上から抜け出すと、眼下に、玄界灘に浮かぶ志賀島などが見えたかと思うと、すぐに博多の街が見え、やがて博多から程近い福岡空港に着陸した。
玄界灘に浮かぶ志賀島(左上)など
今回の旅の主な目的は、やはり日本100名城巡り。福岡市を起点に、福岡・佐賀・長崎北部の12城を目指す。
まずは、それらの目的地の中で福岡市から見て逆方向にある北九州市を目指す。
小倉城
北九州にある城は、小倉城(続100名城No.181)。基となる城を築いたのは毛利元就ら毛利氏だが、現在の姿のもの(再建。本来は破風が無かったのだが破風ありで再建されている)を造ったのは初代小倉藩主となった細川忠興(細川ガラシャの夫として有名)だ。天守閣最上階の、せり出すような窓が特徴的だ。
場内で築城に関する展示を見た後、天守閣から下りた場所にある観光施設しろテラスで続100名城のスタンプを頂いた。
せっかく北九州まで来たことだ。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が放送されていることもあり、比較的近くにあるゆかりの地を目指すことにした。
まず、列車で鹿児島本線終着駅の門司港へ。港に出てみると、海の向こうにそこまで広くもない海峡とそこにかかる橋が見える。関門海峡と関門大橋だ。
門司港と関門大橋
ランチに名物・焼きカレーを頂いた後、門司港レトロと呼ばれる昔懐かしい風景を楽しみながら北へと足を進める。
レトロな門司港駅
門司港レトロの街並みと門司港レトロ展望室
歩くにつれ、関門大橋が大きくなってきた。門司港から眺めた時は「そんなにも広くない」と感じた関門海峡も、近づくとやはり広々としている。
関門大橋
目指すは、この海峡の向こう。自動車と列車は関門大橋を渡るが、人と自転車は海の下に敷かれた関門トンネル人道を歩くことになる。
関門トンネル人道の、福岡県・山口県県境
関門橋東側のたもとにある入り口からエレベーターで地下まで潜ると、そこから延びていたのは、路面を黄色く塗装された、片側1線のみの狭いトンネルだった。距離は780m――1kmもないのか、と思うと、やはり関門海峡はそんなに広くはないのかな?と思えてくる。
中間点に到着。路面を見ると、こちら側には向こうから来る人に向けて「福岡県」、反対側には、こちらに向けて「山口県」と書かれている。そう。ここが、このトンネル内の福岡・山口県境なのだ。子供連れの中には、ここを元気よくジャンプする姿も見られた。
10分ほど歩いて、下関側に到着。門司側と同様のエレベーターで、地上へ。
エレベーターを出てすぐに海辺の道路を渡ると、長州砲(八十斤加農砲)のレプリカがある。ここは、1863年に長州藩がアメリカ、イギリス、フランス、オランダの四国連合艦隊を砲撃し、無様に返り討ちに遭った現場なのだ。
しかし、今回私が求めているのは、これではない。大砲のレプリカから関門橋方面へ少し歩くと、源義経・平知盛像があり、更にそこから関門橋に寄ったところに、それはあった。
「壇の浦古戦場址」の碑
「壇の浦古戦場址」の碑。
12世紀後半、源氏と平氏との間で繰り広げられた源平合戦の、ここが終末の場だったということだ。先に書いた源義経・平知盛も、ここで対峙した2人だ。
2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも、この戦は描かれるはずだ。このドラマでは少々腹黒に描かれている義経のほか、この合戦を彩った人々が、そしてこの合戦そのものが、どのように描かれるのか、楽しみだ。
コメント(0)
コメントする