バス憧れの大地へ

日本100名城

100名城探訪記

小机城、石垣山城、小田原城

2019年8月31日

この夏は青春18きっぷを使って静岡、東京、山梨の日本100名城を巡ってきたが、きっぷがまだ1日分残っている。
現在の地元・神奈川の城にまだ行けていない。青春18きっぷで巡るのにちょうどいい電車賃になるので、行くことにした。

まず、目指したのは、JR横浜線小机駅から徒歩10分ほどの小高い山の上にある小机城(続日本100名城No.125)。15世紀に関東管領上杉氏が築き、長尾景春の乱の際に攻城戦の舞台となった城だ。その後いったん廃城となり北条氏の統治下で再建されたが、徳川家康の関東入府後、再び廃城となる。現在は小机城址市民の森として保存されているが、第三京浜道路の建設で一部壊されてしまっている。
駅南口にある「城郷小机地区センター」で100名城のスタンプを頂いた後、北口に回って、そこから歩いて公園入口へ向かう。
小机城本丸入り口
小机城本丸入り口
小机城本丸
小机城本丸
坂道を上った先の門をくぐると、そこが本丸。他にも二の丸、土塁、井楼跡、櫓台など、ここが城であった痕跡が幾つも残っている。
小机城の空堀
小机城の空堀
特に印象的なのが、深くえぐられた「空堀」。この場所が戦いの要塞であったことを最も雄弁に物語っている。中でも本丸~二の丸の北側の空堀は現在、両側に竹林が茂る小道になっていて、非常に風情がある場所だ。
小机城の空堀
竹林の中を抜ける小机城の空堀

小机から横浜線、京浜東北線、東海道線とJR路線を乗り継いで、1時間20分ほどかけて、小田原へ。この街で最も有名な城は後に回すことにして、私はまず別の城を目指した。
向かったのは、石垣山城(続日本100名城No.126)。小田原攻めの際、豊臣秀吉勢が笠懸山の山頂に秘密裏に建て、突如その姿を見せて北条方の士気を失わせたことで有名な、「一夜城」の異名を持つ城だ。土日祝日なら小田原駅から出ている小田原宿観光回遊バス「うめまる号」で直接行くことができる(1日乗車券がお得)。
石垣山城の南曲輪石垣
石垣山城の南曲輪石垣
その名の通り、今も残る石垣が特徴の城で、入り口そばの南曲輪をはじめ、馬屋曲輪(二の丸)、井戸曲輪などに立派な石垣が残っている。
石垣山城の井戸曲輪
石垣山城の井戸曲輪
入り口から暫く坂を上ると、広々とした二の丸に行き着く。そこから更に坂を上った先に本丸があり、その一角には天守台もある。「一夜城」という異名から簡易な城を想像していたが、実際には80日かけて築城したもので、かなり本格的な城だったことが覗える。
石垣山城馬屋曲輪(二の丸)
石垣山城馬屋曲輪(二の丸)
石垣山城の天守台
石垣山城の天守台
本丸のへりの方に展望台があった。小田原の街と駿河湾を一望することができる。
ビルが立ち並ぶ中に埋もれて少し分かりにくいが、小田原城の姿も見えた。秀吉もここから、小田原城に向けて睨みをきかせていたのだろう。

石垣山城からの眺望
石垣山城からの眺望。小田原城も見える(クリックで拡大)
石垣山城の駐車場で100名城のスタンプを頂いた後、循環バスで小田原の市街地へ移動。向かうは勿論、先程石垣山城からもその姿を捉えた小田原城(日本100名城No.23)である。北条早雲をはじめとした北条氏の本拠となった城だ。9kmもの総構えで知られる難攻不落の城だったが、先述した秀吉の小田原攻めで遂に落ちる。明治になって天守閣や櫓は一旦解体されるが、1960年に天守閣が再建され、その後門が復元された。
小田原城天守閣
小田原城天守閣
天守閣入り口で100名城のスタンプを頂き、展示物を見ながら最上階に向かう。
廻縁から西側を眺めると、箱根の山が見えるが、その手前に見えるのが笠懸山――そう、石垣山城が築かれた山だ。石垣山城から小田原城を眺めた時は結構遠く思えたのだが、小田原城から笠懸山を眺めるとかなり近く感じられる。この感覚が、北条方を降伏へと向かわせたのだろうか。
小田原城から見る笠懸山
小田原城から見る笠懸山。赤丸の辺りに石垣山城がある

これで、今回の名城巡りは終了。神奈川県の100名城制覇となった。

アルファポリス

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