臼杵城
うすきじょう
続日本100名城 No.192
- 場所
- 大分県臼杵市臼杵丹生島(地図)
- 築城時期
- 戦国時代(1562年)
- 築城主
- 大友宗麟
- 主な城主
- 大友氏、福原氏、太田氏、稲葉氏
- 分類
- 連郭式平山城
- 遺構
- 曲輪、畳櫓、卯寅口門脇櫓、石垣、空堀、堀
- 概要
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戦国時代、豊後の王と称されたキリシタン大名・大友宗麟により、北、南、東を海に囲まれ、西は干潮時に現れる干潟で繋がるのみという天然の要害・丹生島(にうじま)に築かれた「丹生島城」が始まり。大友氏は毛利氏との戦いに敗れて1562年に府内大友館からここに移ったとされ、以後大友氏の拠点となる。1586年、島津軍の侵攻を受け、大砲を駆使して退けるも城も城下も大きな損失を受ける。豊臣秀吉の朝鮮出兵で敵前逃亡した大友義統が改易された後は福原氏、太田氏が、関ヶ原の戦いの後は稲葉氏が城主となって天守が築かれるなど修築が行われ、以後明治に入るまで稲葉氏が城主を務める。
明治の廃藩置県後、廃城となり城内の建物の多くが撤去され、1877年の西南戦争の舞台にもなる。1887年、城の周囲の海が埋め立てられる。
1966年、大分県の史跡に指定される。2001年、二の丸大手門に当たる大門櫓が木造で復元される。
丹生島城、巨亀城、金亀城、亀城の別名あり。
- 公共交通機関による
アクセス - JR日豊本線 臼杵駅から徒歩15分。
- 100名城スタンプ
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臼杵市観光交流プラザ (地図)
- 探訪記の該当部分
- 大分100名城(5)―臼杵城、大友氏館跡
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