一宮城
いちのみやじょう
続日本100名城 No.176
- 場所
- 徳島県徳島市一宮町西丁(地図)
- 築城時期
- 南北朝時代(1338年)
- 築城主
- 小笠原長宗
- 主な城主
- 小笠原成助、蜂須賀家政、益田持正
- 分類
- 山城
- 遺構
- 曲輪、石垣、竪堀、空堀、堀切、井戸跡等
- 概要
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徳島の東竜王山の北東枝尾根に築かれた、北は鮎喰川、東は船戸川、園瀬川を天然の濠とし、背後に四国山脈をひかえる天険を利用した山城。南北朝時代、阿波国守護である小笠原長房(南朝方)の四男小笠原長宗が一宮宗成を滅ぼし、1338年にこの地に築城して移住。その後小笠原長宗は一宮氏を称し、一宮城は一宮氏が代々居城とし、北朝方の細川氏と度々争うが、成宗の代に細川氏に敗れた後、一宮氏は北朝に下る。
戦国時代には三好氏と長宗我部氏の攻防の舞台になり、長宗我部元親は一宮城に南城を新たに増築する。豊臣秀吉による四国征伐の際には豊臣秀長と長宗我部元親との攻防の舞台となる。秀吉が四国を平定した後は、阿波に封ぜられた蜂須賀家政の居城となり改修が行われる。家政が新たに築いた徳島城に移った後は家臣の益田長行が城主を務め、徳島城の支城(阿波9城のひとつ)として重要視された。1615年、一国一城令によって廃城となるが、山頂の本丸跡には現在も一宮城唯一の石垣造りの曲輪跡が残る。
1954年、徳島県の史跡に指定される。
- 公共交通機関による
アクセス - JR徳島駅から天の原西線、一宮線、神山線バスで一の宮札所前下車、登山口まで徒歩すぐ。
- 100名城スタンプ
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一宮城跡登山口説明板横(地図)
- 探訪記の該当部分
- 四国100名城(6)―一宮城、徳島城ほか
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