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日本100名城

100名城データ

忍城

おしじょう

忍城

続日本100名城 No.118

場所
埼玉県行田市本丸(地図
築城時期
戦国時代(1478年頃)
築城主
成田氏
主な城主
成田氏、松平氏ほか
分類
平城
遺構
土塁、堀、移築門
概要
1478年ごろ、地元の豪族・成田正等・顕泰父子がこの地を支配していた扇谷上杉家に属する忍一族を滅ぼし、築城したといわれる。広大な沼地に島や自然堤防を巧みに利用して建造され、難攻不落の名城と呼ばれる。
1479年、扇谷上杉家に忍城を攻められるも同家の太田道灌の仲介によって和解して以後、成田氏が領有した。16世紀半ば、成田氏は上杉謙信に恭順するが、のち離反。上杉氏の北条攻めの際に攻められるが守り切る。1590年、豊臣秀吉の関東平定の際、城主・成田氏長は小田原城で籠城し、忍城では氏長の叔父・成田泰季を城代に約3000人が立てこもった(忍城の戦い)。豊臣側は石田三成が石田堤を建設して水攻めを行い、これが「忍の浮き城」という別名の由来となった。しかし忍城は水攻めでは落ちず、小田原城の落城に伴ってようやく開城となる(この様子は和田竜『のぼうの城』に描かれている)。徳川家康の関東入部後は家康の四男・松平忠吉が配置され、以後、忍藩10万石の政庁となった。江戸時代、老中・阿部忠秋が入った時期より城の拡張整備が行われる。
明治の廃城令・廃藩置県の後、城内の構造物は殆ど撤去され、土塁の一部が残るのみとなり、城跡は公園として整備される。
1963年、埼玉県指定旧跡に指定される。1988年、行田市郷土博物館が開館。その一部として御三階櫓が、位置や規模は史実とは異なるものの、鉄筋コンクリート造りで外観復興される。
公共交通機関による
アクセス
秩父鉄道 持田駅、行田市駅から徒歩15分。
 持田駅入口から市内循環バス(西循環右回り)で忍城址・郷土博物館前下車すぐ。
 行田市駅前から市内循環バス(東循環・北東・北西)で市役所前下車、徒歩5分。
JR高崎線 行田駅から
 市内循環バス(西循環右回り)で忍城址・郷土博物館前下車すぐ。
 市内循環バス(西循環左回り)で忍城バスターミナル下車、徒歩7分。
100名城スタンプ
忍城スタンプ
行田市郷土博物館(地図
探訪記の該当部分
北関東100名城(1)―忍城、箕輪城

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