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日本100名城

100名城データ

岩櫃城

いわびつじょう

岩櫃城

続日本100名城 No.117

場所
群馬県吾妻郡東吾妻町原町(地図
築城時期
不明
築城主
不明
主な城主
斉藤憲次、斉藤憲広、真田幸隆、真田昌幸、真田信之
分類
山城
遺構
曲輪、土塁、竪堀、空堀、虎口
概要
群馬県吾妻川北岸の岩櫃山中腹に築かれた山城。伝説では、この地を鎌倉時代に治めた吾妻太郎助亮が築城したと伝わる。
戦国時代に吾妻氏の子孫と称する斉藤憲次が岩櫃城を奪い、その子である斉藤憲広は上杉氏に属し、岩櫃城を拠点として吾妻郡一帯の地侍を支配下に置いたが、やがて信濃の真田氏と、その主家である甲斐の武田氏による介入を招き、1565年に落城。その後は真田氏が吾妻地方への進出を狙って岩櫃城を攻略し、沼田城・名胡桃城と、信濃国の上田城とを繋ぐルート上の拠点として岩櫃城の大改造を行う。真田昌幸は1582年、織田・徳川勢に攻められ劣勢となった主家武田勝頼を岩櫃城の潜龍院に迎え入れて武田家の巻き返しを図ろうとするも叶わず、武田家は滅亡する。その後、昌幸は岩櫃城を嫡男の真田信之に守らせる。父や弟・信繁(幸村)とは別れて徳川方につき、真田家当主となった信之は1614年、徳川幕府を憚り岩櫃城を破却する。
2019年、国の史跡に指定される。
公共交通機関による
アクセス
JR吾妻線 群馬原駅から平沢登山口観光案内所へ徒歩40分、同案内所から本丸まで山道を徒歩15分。
JR吾妻線 郷原駅から潜龍院跡まで徒歩25分、潜龍院跡から本丸まで山道を徒歩50分。
※上記の潜龍院跡~本丸の山道は山歩きに慣れた人向き。そうでなければ「真田道」で迂回して平沢に向かうのがお勧め。
100名城スタンプ
岩櫃城スタンプ
平沢登山口観光案内所(4~11月)(地図
東吾妻町観光協会(12~3月)(地図
探訪記の該当部分
北関東100名城(2)―岩櫃城

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