白石城
しろいしじょう
続日本100名城 No.105
- 場所
- 宮城県白石市益岡町(地図)
- 築城時期
- 鎌倉時代
- 築城主
- 白石氏
- 主な城主
- 白石氏、蒲生氏、甘糟景継、登坂勝乃(上杉氏)、片倉氏
- 分類
- 梯郭式平山城
- 遺構
- 石垣、移築門、移築蔵
- 概要
-
鎌倉時代に白石氏(刈田氏)の居館として建てられ、戦国時代、伊達氏が刈田郡を勢力下とするも、1591年、豊臣秀吉の奥州仕置により蒲生氏郷の所領となり、1598年に上杉景勝が会津入りするとその家臣の甘糟景継が城主となる。1600年、徳川家康の上杉征伐の際に家康に接近していた伊達政宗が上杉領を攻めて白石城の戦いとなり、刈田郡は再び伊達氏の領土となる。1602年、正宗の重臣・片倉景綱が城主となり、以後、片倉氏が城主を務める。1615年に一国一城令が発せられるが、仙台城の支城だった白石城は存続を認められる。事実上の天守である三階櫓があったが、江戸幕府にはばかって「櫓」と称していた。
江戸幕府滅亡後の1868年、奥羽越列藩同盟の結成に繋がる白石列藩会議の舞台となる。戊辰戦争に敗戦し、明治の廃城令の後、取り壊しとなり、城跡は益岡公園となった。
1995年に三階櫓、大手一ノ御門、大手二ノ御門、土塀が昔ながらの工法で木造復元された。2011年の東日本大震災、次いで2021、2022年の福島県沖地震で被災し、被災と復旧を繰り返している。
益岡城、枡岡城の別名あり。
- 公共交通機関による
アクセス - JR東北本線白石駅から徒歩15分
- 100名城スタンプ
-
白石城天守閣(地図)
- 探訪記の該当部分
- 宮城100名城(1)―白石城、仙台城
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