飫肥城
おびじょう
日本100名城 No.96
- 場所
- 宮崎県日南市飫肥(地図)
- 築城時期
- 南北朝時代
- 築城主
- 土持氏
- 主な城主
- 土持氏、新納氏、伊東氏
- 分類
- 群郭式平山城
- 遺構
- 御殿、大手門、土塀
- 概要
-
南北朝時代に土持氏が築城したのが始まりとされる。戦国時代、島津氏と伊東氏との間で飫肥を巡り80年にわたる争奪戦が繰り広げられ、1567年、伊東義祐が一度は飫肥城を手に入れて子の伊東祐兵に飫肥の地を与えるが、1572年、伊東氏は木崎原の戦いに敗れて勢いを失い、飫肥城は島津氏の支配下となる。しかし、豊臣秀吉による九州攻めで島津氏が降伏した後の大名配置(九州仕置)により、秀吉の家臣となっていた伊東祐兵(義祐の子)の領地となり。以後伊東氏は代々飫肥藩5万1千石を治める。3度の大地震に見舞われた飫肥城は、本丸が石垣の上の「旧本丸」から「新本丸」(現在の飫肥小学校)へ移され、1691年に堀と石垣が修復され、1693年には御殿が築かれ、近世城郭として生まれ変わる。城下町も発展して現代まで当時の風情を残している。
明治の廃城令で廃城となり、殆どの建物が破却される。1978年に大手門、1979年に松尾の丸が復興される。1977年、城下町が重要伝統的建造物群保存地区に選定され、1991年には飫肥城が日南市の史跡に指定される。
- 公共交通機関による
アクセス - JR日南線飫肥駅から飫肥行きバスで飫肥城下車、徒歩2分。
飫肥駅から徒歩20分。
- 100名城スタンプ
-
飫肥城歴史資料館(地図)
- 探訪記の該当部分
- 鹿児島・宮崎100名城巡り2024(4)―飫肥城
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