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日本100名城

100名城データ

岡城

おかじょう

岡城

日本100名城 No.95

場所
大分県竹田市竹田(地図
築城時期
平安時代末(1185年)
築城主
緒方惟栄
主な城主
志賀氏、中川氏
分類
梯郭式山城
遺構
石垣
概要
稲葉川と白滝川に挟まれた舌状台地上に築かれた山城で「難攻不落」と言われた天然の要塞。1185年に緒方惟義が源頼朝に追われた源義経を迎えるために築城したことが始まりとされる。南北朝時代の1334年に後醍醐天皇の指示を受けた大友氏一族の志賀貞朝により拡張され、岡城と名付けられたとされる。戦国時代、大友氏を下そうと島津氏が豊後を攻めるが、岡城のみは志賀親次の指揮のもと再三、島津軍を撃退する(豊薩合戦)。豊臣秀吉の時代の朝鮮出兵で大友吉統が秀吉から鳳山撤退を責められ所領を没収されると親次も岡城を去り、その後は播磨国から移封された中川秀成が3年がかりで大規模な修築を施し、御三階櫓(天守代用)も建てられた。岡藩(竹田藩)2代久盛の代には清水門が整備され、3代久清の時に西の丸が築かれ、御殿が造営される。1771年、火災により本丸、西の丸、御廟所など城の大半を焼失する。
明治の廃城令で全ての建造物が破却されるが、巨大な石垣は残り、作曲家・滝廉太郎はこの城跡で「荒城の月」のイメージを得たといわれる。1936年、国の史跡に指定される。
臥牛城、豊後竹田城の別名あり。
公共交通機関による
アクセス
JR豊肥本線 豊後竹田駅から
・徒歩30分。
・レンタサイクルで10分。
100名城スタンプ
岡城スタンプ
岡城料金所(観覧料徴収所・観覧券販売所)(地図
探訪記の該当部分
大分100名城(6)―岡城ほか・1

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