松山城
まつやまじょう
日本100名城 No.81
- 場所
- 愛媛県松山市丸之内(地図)
- 築城時期
- 江戸時代(1602年~)
- 築城主
- 加藤嘉明
- 主な城主
- 加藤氏、松平(久松)氏
- 分類
- 連郭式平山城
- 遺構
- 天守、櫓、門、塀、井戸、石垣、土塁、堀
- 概要
-
関ヶ原の戦いで功のあった伊予の国の加藤嘉明が1602年から勝山山頂に築城を開始。1603年、嘉明が本拠をこの地に移し、地名を「松山」に改める。1627年に嘉明が会津に転封になった後も築城は進む。天守は当初五重だったが、1642年に松平定行によって三重に改築される。1784年に天守などが落雷で焼失。1854年、松平勝善の代に大天守をはじめとする本丸本壇が再建され、この時の天守が現在も現存する(現存12天守の一つ)。
明治に入り、三の丸、二の丸が相次いで焼失。廃城令により国の所管となり、1923年、本丸が久松家(旧伊予松平家)に払い下げられ、そのまま松山市に寄贈される。1935年、天守など35棟が国宝(現在の重要文化財に相当)に指定されるが、その後空襲や放火で焼失があり、焼失を免れた21棟が1950年、現行法での国の重要文化財に指定される。その後小天守、櫓、門の数々が復興される。
金亀城、勝山城の別名あり。
- 公共交通機関による
アクセス - JR予讃線松山駅から伊予鉄道市内電車県庁前駅下車。
- 100名城スタンプ
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松山城天守入口(地図)
- 探訪記の該当部分
- 愛媛100名城巡り(1)―松山城、湯築城
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