水戸城
みとじょう
日本100名城 No.14
- 場所
- 茨城県水戸市三の丸(地図)
- 築城時期
- 鎌倉時代初期(12世紀末)
- 築城主
- 馬場資幹
- 主な城主
- 大掾氏(馬場氏)、江戸氏、佐竹氏、徳川氏
- 分類
- 連郭式平山城
- 遺構
- 薬医門、藩校、土塁、空堀
- 概要
- 鎌倉時代初期に馬場氏によって築城された、北を那珂川、南を千波湖に挟まれた城。その後、馬場氏を追いやった江戸氏が居城とする。1590年、小田原征伐で功のあった佐竹氏が水戸城を強襲して江戸氏は滅亡。佐竹氏は本拠を太田城から水戸城に移し、佐竹氏の時代に現在の縄張の基礎が築かれた。関ヶ原の戦いを機に佐竹氏が転封されると、江戸時代には徳川頼房を初代とする徳川御三家の一つ・水戸徳川氏の居城となる。頼房の時代に三の丸や外堀の整備拡張が行われ、二の丸御殿や、三階物見と呼ばれる櫓を建設。1764年に三階物見が焼失した後、外観3重内部5階の御三階櫓が建てられ、天守の代用とされる。1841年、三の丸に藩校・弘道館が設立される。
幕末の天狗党の乱で多くの建物が失われ、1871年の廃藩置県により廃城。御三階櫓は存続したが、第2次世界大戦での空襲で焼失。1952年、弘道館が国の特別史跡に、1964年、弘道館正庁、至善堂、正門・塀が国の重要文化財に、1967年、 土塁と空堀が茨城県の史跡に、1983年、 薬医門が茨城県の指定建造物に指定される。その後、大手門や二の丸角櫓などが復元整備される。
馬場城、水府城の別名あり。
- 公共交通機関による
アクセス - JR常磐線・水郡線水戸駅から徒歩10分。
- 100名城スタンプ
-
弘道館料金所窓口(地図)
- 探訪記の該当部分
- 茨城100名城(1)―土浦城、水戸城
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