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雑記ブログ

「黄金の国シカン(ペルー)」展と「トリノ・エジプト」展の明と暗(東京・上野)

「インカ帝国のルーツ 黄金の国シカン」フライヤー1か月後にペルーへ旅行に行くこと、8月8日の「世界・ふしぎ発見!」の放送に触発されたことが重なって、東京・上野の国立科学博物館で開催されている「特別展 インカ帝国のルーツ 黄金の都シカン」展を参観してきた。

「シカン」とはペルー北部の、現在のエクアドル国境付近に8世紀~14世紀のプレ・インカ時代に栄えた、独自の宗教や「黄金の仮面」に象徴される黄金製品が特徴的な文明である。
前述の「世界・ふしぎ発見!」の放送で、盗掘で穴ぼこだらけになったシカン遺跡の航空写真が映し出されていた。今回の展示の出品物は、そうした盗掘を免れたロロ神殿を中心とした発掘の成果である。

今回の展示の主役も、やはり「黄金の仮面」を中心とした黄金製品や、シカンの宗教・社会・生活・交易を物語る遺物の数々である。それぞれの遺物はやや小ぶりではあるが、その細やかさや黄金の豪華さはそれを補うだけのインパクトがあった。

30年前からこの文明の真相を解明しようと発掘に当たっている第一人者が実は、島田泉という日本人学者なのだ。展示の第1部分は島田教授が地元の人々と共同で発掘に当たる様子が紹介され、その後の部分でも島田教授の解説を交えたショートビデオが添えられている。
考古学を外部の者が見た時、ともすれば出土品にばかり目が行ってしまうものであるが、こうした発掘の苦労も決して忘れてはならないだろう。増してや、このシカンの遺跡は上述のとおり、盗掘が甚だしく行われていたのである。その中から見事な発掘成果を実らせたプロセスも無視できない。

それにしても、今回の出品物は、シカン遺跡のほんの一角を占めるにすぎないロロ神殿周辺から出土したものが殆どだった。それだけであれ程の展示会を開催することができるのだから、シカン遺跡で盗掘が行われず、広範囲で当時の遺物が正規のプロセスで発見されていたら、どれ程の学術的成果を収めることができたか、想像もつかない。

古代文明へのロマン、ペルーに思いを馳せることができる以外にも、こうした学術的プロセスやそこから導き出される分析の様子も見ることができる点で、極めて秀逸な展示会だった。

それに比べて・・・

同じ日、上野公園に着いたところで「トリノ・エジプト展」なるものが同公園内の東京都美術館で開催されていると知り、ついでに立ち寄ってみた。イタリアのトリノ・エジプト博物館の古代エジプト関連所蔵品の出張展である。
「エジプト」というテーマと展示品のインパクトのためか、「シカン展」よりもはるかに賑わっていた。しかし、それらの展示物がどのような経緯をたどってきたのかについては最初にちょっと触れられているだけだった。

よく考えていただきたい。
なぜ、世界随一のエジプト博物館が、エジプトではなく、イタリアにあるのか?

同展公式サイトによると、

19世紀には、ナポレオンのエジプト遠征に従軍し、フランスのエジプト総領事となったベルナルディーノ・ドロヴェッティがエジプトで収集したコレクションが、サルデーニャ王国(イタリア王国の前身)に購入され、現在のトリノ・エジプト博物館の中核となりました。

それって・・・
要するに・・・

ナポレオンの遠征のどさくさでエジプトから持ち帰った盗品もしくは略奪品で博物館を造った

ってことではないのか? 例え仮にきちんとしたプロセスを経て購入したものだとしても、やはり他国の貴重な歴史資料を我が物顔で展示するのは感心しない。

ちょうど、私のすぐ後ろで参観していた年配の男性が
「強奪品なんだよな・・・」
と話しているのが耳に入ってきた。
この方のように、展示物の背景をきちんと分かって参観しているのならいいのだが、それを理解せずに展示物の美しさ、珍しさ、インパクトに喜んでいるばかりでは本質的な部分で勘違いをしたままで終わってしまうのではないだろうか。

「略奪品の展示会」といえば、やはり東京・上野で来月から開かれるな・・・

侵略された聖地チベット
? ポタラ宮と盗まれた天空の至宝 ?
展・・・

こちらも、見に行くのであれば展示品の背景にある侵略・略奪の事実をしっかりと理解していただきたいものである。

謹賀新年――モンゴルより

あけましておめでとうございます。
2009年も宜しくお願いします。

今年の元日はモンゴルの草原(というより雪原)で迎えました。宿泊はもちろん、ゲル(モンゴル式移動住居)です。
モンゴルの草原で初日の出を拝みたいとの思惑だったのですが・・・明け方は生憎の曇り。10時ごろになってようやく私にとっての”初日”を山の上、雲の向こうに見ることができました。
雪原を乗馬したり、新年の瞬間を草原の民(といってもかなり現代化していますが)のゲルで地元の人たちと過ごしたりと、貴重な経験をさせていただきました。

今は、ウランバートルに戻ってこのブログを書いています。

今のところ、大きなトラブルはありません。何回か足を滑らせて転んだりスリ未遂に遭った程度です。

モンゴルより

ただ今、モンゴルです。

ウランバートルに到着する直前、飛行機から雪景色が見えて
「こりゃとんでもない所に来てしまったかな?」
と思いましたが、空港から外に出てみたらそれほどでもなく、ほっとしました。

しかし・・・

昨日、今日とウランバートルから南西360kmのハラホリン(カラコルム)に行ってきたのですが、服を着ていた部分は何ともなかったものの、唯一肌がむき出しになっている顔は、風が強いときには冷たいというよりは痛い!! でもちょっと街中に入ると何ともなかったりしました。

ハラホリンはモンゴル帝国時代の古都ですが、ほとんど何も残っていません。
しかし、残っているものの一つ、エルデニ・ゾーは、モンゴルの地にチベット仏教が伝播したことを伝える貴重な遺跡でした。
中にあるチベット寺院に入ってみると、お坊さんたちがお勉強の準備中! 邪魔しないようにご本尊に手を合わせて世界の平和とチベット解放を祈り、お坊さんたちに一礼し、表でマニ車を回しながらコルラするにとどめました。

今は、またウランバートルに戻っています。
ここはハラホリンほど寒くないですが、空気が悪くて・・・。
また、積雪が所々でアイスバーンになっていて今日までに3回も転んでしまいました・・・。

あと、食べるものといえばやはり、です。
私は嫌いではないですが、独特のにおいがあるので、帰国する頃には羊臭くなっているかも・・・

詳しい話は、また帰国後に旅行記でお知らせします。

モンゴルビザ取得

※注:現在、モンゴルには、日本国籍で滞在期間30日以内等の条件を満たせばノービザで入国することができる。
https://www.tokutenryoko.com/service/visa/57
=======
この日の午後、渋谷近くにあるモンゴル大使館に出向き、モンゴルのビザが貼り付けられたパスポートを受け取った。幸い職場が渋谷(当時)なので、昼休みついでに行くことができた。
  ・
  ・
  ・
おっと。
肝心な申請時のことを書くのをすっかり忘れていた。

1週間前の、12月15日。
朝一番でモンゴル大使館に出かけてみると、窓口に来訪者は1人しかおらず、すぐに私の順番が回ってきた。
「ビザの申請をしたいんですけど・・・」
すると窓口の女性は、メモ用紙に何かを書いて私に渡してくれた。紙には、どこかのURLと書かれていた。
「申請用紙はオンラインで記入するようになっています。そこからアクセスしてください」
何で手書きじゃ駄目なんだろう――世の中IT全盛だが、別にそこまでハイテクなことをさせなくてもいいじゃないか。
まあ、文句を言ってもしかたがない。今はパソコンが無いので、職場でアクセスして(←不謹慎)書き込んで、午後にもう一度来ることにしよう(職場から近くて本当に助かった)。

さて、職場のパソコンで上記のURLにアクセスしてみると、

CONSULAR SERVICE OF MONGOLIA」(モンゴル領事サービス)

というサイトが表示された。そこから、「VISA」をクリックするとビザ申請画面に移るが、全て英語なので少々手間取った。

まず、最初の画面で国籍、パスポートのタイプ、滞在期間、パスポートに書かれている子供の人数を選択もしくは入力し、「Check Record」のボタンをクリックする。
その先の画面がいよいよ本格的なビザ申請の必要事項記入項目である。

必要事項を記入してボタンをクリックすると、自動的に必要事項が記入された申請用紙がPDFファイルで出力されるので、それをプリントアウト。後は写真を貼り付ければ準備完了。何と素晴らしいハイテクだろう!!
最後に、出力されたPDFファイルを忘れずに保存しよう。

午後1時、再度大使館に出向いて書類を提出する。すると、番号札とビザ申請料の振込先が書かれた紙を手渡される。受取日(だいたい5~7日後)までにここに振り込めということだ。
何で窓口で払えないんだろう――と思いつつ、翌日銀行へ振り込みに行く。振り込んだ際の領収書が受け取りの際に必要とのことで、最初は窓口で支払おうとしたが、職員のお姉さんが
「モンゴルビザですか? ATMで大丈夫ですよ。皆さんそうされています」
領収書はATMが吐き出す明細書でOKとのことだ。ということでATMで料金(旅行ビザの場合4400円)を振り込む。

そして本日。
指定された13時半すぎに大使館に出向き、窓口で番号札と振込明細書を渡すと、モンゴルのビザが貼り付けられたパスポートが戻ってきた。

これで、準備はほぼ完了である。

さあ、モンゴル到着まであと5日。
草原、ゲル、星空・・・

いや・・・
それよりも・・・

寒さが気になる。

ネットの天気予報によると、到着日のウランバートルの天気は・・・
晴れ
湿度81%
最高気温 -18度
最低気温 -30度
  ・
  ・
  ・
自分のことながら、もはや、物好きとしか言いようがない・・・

凍え死なないように注意しよう・・・

駐日本モンゴル大使館の公式サイトはこちら。
http://www.embassyin.jp/mongolia/

チケット取れました

昨日キャンセル待ちを頼んだ年末年始のモンゴル行きエアチケットについて、旅行社任せにするばかりでなく、自分でもネットで空きがないか探してみた。
ソウル(インチョン)-ウランバートルの往復便には空きがあるというので、問題は東京(成田)-ソウル往復の方である。この日の朝、その便に絞ってしらべてみると…

JALの正規割引でちょうどいい便に空きが見つかった!

これでソウル-ウランバートルの往復チケットのみの購入が可能であれば行けるではないか!

それが分かるや否や、早速昨日行った旅行社を再び訪れた。

前日のスタッフに「ソウル-ウランバートルの往復チケットのみの購入は可能ですか?」
と尋ねてみると
「国外発着のチケットとなると新宿本社になりますね」
との答え。つまりは新宿まで出向けば私の年末年始旅行は実現できるということだ。
気持ちが新宿に向き始めたところに…

「実は、東京-ソウルの帰りの便は押さえることができました。時間は1時間早くなりますが…」
それを早く言って下さいよ。大きな前進ではないか! 1時間早いくらい何の問題も無い。
「あと、行きの便も昨日の値段よりも2万7千円高いプランなら押さえることができました」

――ということは、料金の問題さえOKなら行けるということではないか!
昨日提示された料金は燃油費・空港使用料等込みで8万5千円。今押さえられるプランだと11万2千円とのことだ。

[lこの際2万7千円ぐらいの差なら大きなものではない。肝心なのは行けるか行けないかだ]

そう考えた私は即決した。
それにします!

こうして、年末年始のモンゴル旅行キャンセル待ちは僅か1日で終了した。

年末年始の旅、完全に出遅れ

会社の年末年始の休みも確定し、9連休になるなら海外へ!と昨日の昼休みに職場近くの旅行社に行ってみた。
今回まず狙ったのは、ギリシャ。そろそろヨーロッパも見てみたいという思いがあり、ヨーロッパで一番行きたい国がギリシャだったのだ。
ところが、旅行社のスタッフが年末年始の予約状況をを照会してみると…

「アテネにはもうルフトハンザ航空の35万円のものしか残ってませんね」

35万円って――1か月分の給料よりも高いじゃないか。それはとても出せない。もう一度作戦を練り直すことにした。

帰宅後、インターネットで格安航空券サイトにかじりついたが、どれも残席なしである。行き先を変えたらどうだ?と、他に行ってみたいトルコやモンゴルも検索してみたが、こちらも芳しからず…。

甘かった。

年末年始の旅行はこれまでしたことが無かったので、これ程までにチケットが取りにくいとは思っていなかったのである。「まだ1か月半もある」ではなく「もう1か月半しかない」だったのだ。完全に出遅れである。

そこで、やはり初めての「キャンセル待ち」に挑むことにした。
この日、自宅から最寄の大手旅行社に出向き、まずギリシャ、トルコ、モンゴルの状況を調べてもらったが、やはり「FULL」である。そこでキャンセル待ちの手続きに入る。
「優先順位はどうされますか?」
スタッフが尋ねてくる。
本来はギリシャだった。
しかし、私は昨日ネットであれこれ調べながらふと頭に浮かんできたモンゴルに行きたいという気持ちが強くなってきた。一つには10年以上前にも行こうとしながら南モンゴル(※)で妥協してしまったこと、一つにはモンゴルがチベット仏教圏であること、そしてもう一つ、一番大きかったのがギリシャ、トルコに比べて航空券代その他が半分以下で済むことがその理由である。
そこで、韓国・インチョン経由ウランバートル行きの往復を第一希望にキャンセル待ちをすることにした。(しかしながら、インチョン―ウランバートルの便は空きがあるのである。問題は日本からインチョンへ行く便が満席だということだ)

さて、念願は叶うだろうか――かなり絶望的だろうけれど。


※その当時は「内モンゴル」として中国の一部として意識していたが今は中国の南モンゴル占拠を認めていない。

ナマステ・インディア2008

東京・代々木公園で開催されていた「ナマステ・インディア2008」に行ってきました。

ナマステ・インディアとは…

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インドの古典・民族・現代・ムーピーダンスなどの音楽や踊り、総勢100名を超える一大イベント。へナで手に描くメヘンディ、ヨーガ、アーユルヴェーダ、インドグッスやCD、ブックショップ。インド政府観光局や旅行、紅茶、インドワイン、インド関係団体、NPO、NGO、インド新聞など、多種多様なコーナー。インドレストランやインドセンター提供の大型テント内での催事、ステージではインド大使のお話やIT企業代表の講演など、盛りだくさん。

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(公式サイトより http://www.indofestival.com/

DSC_0053.jpg

開演直後の10時ごろはまだ来場者も少なかったのですが、次第に人が集まって、お昼時にはインド料理の出店に人、人、人…空いている席を探すにも一苦労で、中には代々木公園―明治神宮の歩道橋の階段に腰を下ろして食べている人もいました。

DSC_0096.jpg 

ステージでは、日中文化交流というテーマから、インドの歌舞はもとより、日本の和太鼓、アイヌの踊りなどの出し物が行われ、立ち見も出る盛況ぶり。

お店も、サリーなどの衣類、お香、飲食品、民芸品、ヒンドゥー教の置物やカードなど、インド色豊かなものが多彩でした。

来場者の大部分は日本人で、実際にインドに行ったことのある身としては「本当にインドにいるみたいだ」とまではいきませんでしたが、インド風コスプレの人たちも多く、雰囲気を味わうには十分でした。

それにしても、来場者の数には驚きました。多い時には瞬間で数千人の人で埋め尽くされていました。

私は午後1時ぐらいまでしかいませんでしたが、午後にはもっと増えていたことでしょう。

インドが好きな、インドに興味のある日本人って、こんなにいるんですね。

ただ、インド人があちこちにいる風景に関しては、別に何とも感じませんでした。

だって、私の住んでいる西葛西はインド人率が高く、日常的に近所で大勢のインド人を見ていますから。。。

世界遺産 ナスカ展

暇だったので午前中、上野の国立科学博物館でやっている「世界遺産 ナスカ展」見に行ってきました。

本日は祝日だったらしく、チケット売り場は既に長蛇の列。チケットを買って入り口に向かおうとしたら、前売り券を持っていた人も多かったため、チケット売り場を上回る長蛇の列でした。並び始めて10分、ようやく中に入ることができました。勿論、中も大混雑でなかなか前に進むことができません。

展示品は土器などの文物が多く、それに描かれている文様を通じて地上絵などのナスカ文化を紹介していました。

不気味な首級のドクロも展示されていましたが、「首級」という漢字につけられていたルビが…

ト ロ フ ィ ー

これが語源だったのか? でも考えてみれば、確かに”戦勝の印”だな…。

ハイライトは、バーチャルリアリティーで地上絵を体感するコーナー。広いブースに設置されたかなりワイドな大スクリーンに、まず車の中から撮影したようなハイウェイの映像が映し出されて、実際の映像かと思ったらこれがCGで、そのまま視線が空からに変わり、まるでセスナに乗っているかのような気分で数々の地上絵を見ることができました。

以前からの念願「ペルーに行きたい!」の火がまた強くなった一日でした。

ちなみに、私が参観を終えて外に出てみると、並んでいる人は更に増えていて入場制限が行われていました。

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