バス憧れの大地へ

雑記ブログ

チベット潜入『祈りは武器より美しい』トークライブ&パクチーパーティー

昨日のことになるが、写真展のノウハウ学習と宣伝も兼ねて、写真展を東京・世田谷で開いている野田雅也さんと西条五郎さんのトークショーに参加。10年前からチベットに関わってきた野田さん、チベットに関わったのは2008年の長野からと経歴は短いながらlivedoorで渾身のチベット潜伏記を書いた西条さんのトークは、時折ユーモアを交えながらも、武装警察の連中が徘徊する最近のチベットを実際に見た人でないと分からない緊迫感が伝わってくるものだった。

さて、今回の写真展&トークイベントが開かれたのは、旅人を応援するレストラン「パクチーハウス東京」。その名の通り、パクチー料理専門の店である。
この日のトークイベント後、パクチー料理のパーティーが開かれたのだが、パクチーといえば、私の中国滞在時には「不要香菜!!」が料理を注文する際の外国人の決まり文句に等しかったほどの嫌われ者だった。私自身も「慣れたけど好きとは言えない」という感じだったので、正直最初はパクチー料理というものにちょっと抵抗があったのだが、一口食べてみると・・・

お い し い ・・・

パクチーってこんなに美味しかったっけ? 全然臭くないぞ!!
店長によると、その秘密は「日本国内のいい土で育ったパクチーだから」ということだった。何と、日本でパクチーが作られていたとは!!
パーティー後半には、パクチーを使ったモモやトゥクパなどのチベット料理も出てきて、来場していたチベットファン、パクチーファンを喜ばせていた。

料理を楽しむこともいいけど、宣伝、宣伝・・・
トークイベントの最後に写真展の告知をさせていただき、パーティー中も来場者と写真展のことやチベット旅行のことについて大いに語る。そして、野田さんや西条さんほかイベント開催経験者には写真展のノウハウを教えてもらう。
そして、何としても写真展を成功させなければ、と決意も新たにさせられる。

パクチーハウス東京は、小田急小田原線経堂駅から南へ歩いた、モスバーガー隣、CoCo一番屋正面のビル2階にある。ぜひご来パクを。

長野紀行(3)

善光寺参拝の後は、長野駅の方向へ戻った場所にあるもんぜんぷら座地下BOX (長野県長野市新田町1485) にて開かれていた(5月5日まで開催)「チベットウィーク2009春 in 長野」の展示会場へ。会場近くで、東京でお目にかかったことのあるスタッフの方にお目にかかり、場所を確認して会場に赴きました。
会場会場
限られたスペースの中、チベット問題の説明、写真、子供たちの絵、関連書籍、リーフレットの展示や折鶴コーナーなどが効率よく設置されていました。

その後、バスで川中島古戦場へ。上杉謙信と武田信玄が激闘を繰り広げた場所が長野市だったことを今回初めて知りました(長野県であることは知っていたのですが・・・)。公園内の神社には、当時の一騎打ちを偲ばせる謙信vs信玄の像や首塚、当時の陣立てを説明するパネルなどが置かれていました。
謙信・信玄の像
その隣にあった長野市博物館を見学後、市内から更に離れた松代にある松代城海津城)跡へ。バスが一向に来ないのでしびれを切らし、40分ほど歩いて行ってしまいました(バスには目的地手前500mほどで追い抜かれた)。
松代城
松代城は、真田信之に始まる真田氏松代藩の居城。当時の石垣が残り、太鼓門(再現)や戌亥隅櫓台(事実上の天守台)が立派でした。

バスで長野市内に戻り、チベット問題アピールのリンカ(ピクニック)がしばしば行われる若里公園をウロウロした後、再びチベットウィーク2009の会場へ。東トルキスタンの核実験被害を訴える映像を見させていただきました。
その後もスタッフの方々と懇談し、気がつけば夜の飲み会にまで参加――長野の熱く、濃いチベットサポーターの方々と実りのある時間を過ごさせていただきました。

関連ページ

長野紀行(2)

提灯

2泊3日とはいえ、長野の街を歩けるのはこの日1日だけ。朝早くから行動しました。

まず訪れたのが、長野の代名詞と言ってもいい、善光寺。今年は7年に一度の「御開帳」の年。町全体が御開帳ムード一色になっていました。参道にはあちこちで、御開帳を祝う提灯などが飾られていました。

駅前の宿から(私らしく)歩いて善光寺へ。

善光寺大門
8時20分。善光寺大門着。
長蛇の列
8時25分、仁王門で長蛇の列の最後尾に。


境内着
8時52分、やっと境内へ。
人だかり
笑いたくなるほどの人だかり。



三門通過
9時22分、やっと三門通過。

導師様の道が開く

暫く歩き進んだところで・・・
「これから導師様がご退場しますので、道をお開け下さい!」
とのアナウンス。「モーゼの十戒」の場面のように、人波が左右に分かれて道ができました。(右写真。残念ながら退場時は撮影禁止でした)
その間を、善光寺の導師様が歩いていきます。この時、有難い「お数珠頂戴」が行われたのですが、それを受けることができたのは私がいた反対側の人たちだけで、残念ながら私はお数珠を受けることができませんでした。


柱に到着
9時48分、やっとのことで回向柱(えこうばしら)に到着。
(写真で柱に触れているのはカズではありません)

こうして善光寺本堂前に辿り着いた訳ですが、私はそこを後回しにして、境内北西にある日本忠霊殿へと足を向けました。
日本忠霊殿
なぜ本堂よりもそちらを優先させたのか・・・下の写真をご覧ください。
ダライラマ御寄進仏
ダライラマ御寄進仏!!

私が長野を訪れた最大の理由がこれでした。

昨年(2008年)のことを思い出して下さい。
ペキンペテン五輪の穢れた聖火が長野でリレーする際、スタート地点の指名を返上し、同年3月の騒乱で亡くなったチベットの人たちの法要を行ったお寺がありました。
その素晴らしいお寺こそ、この善光寺さんでした。
ダライ・ラマ猊下はそれに感謝の意を込めて善光寺さんに仏像を寄贈したのです。
高さ21センチの小さな仏像でしたが、金色の見た目や大きさ以上に神々しさが感じられ、私はその小さな仏像に深く深く祈りを捧げました。(撮影禁止だったのが残念!)

猊下寄贈の仏像に拝謁して既に満足感を得た私は、開帳された前立本尊を間近に見られるものの4時間もかかる内陣参拝は敢えてせず、遠くからながらも前立本尊が見える外陣参拝と、御印文頂戴と、その他のお堂を巡るだけにとどめました。
これで十分・・・11時半、私は善光寺の境内を離れた後、昼食にまたしても信州そばを頂いた後、次の場所へと向かいました。

長野紀行(1)

今・・・
東京を離れて長野に遊びに来ています。

最初はバイクで行くつもりだったのですが、ETCが在庫切れで間に合わなかったことと、高速道路デビューに東京―長野はちと長すぎたことから、今回は大人しく高速バスで長野入りしました。
バスは12時半、新宿を出発。ゴールデンウィーク(GW)なので渋滞が気になりましたが、1回事故渋滞があったくらいで、16時10分着予定だったのが、16時半前着と、20分遅れただけで済みました(インドとかに比べればこの程度の遅れなんぞかわいいものです)。
ただ、到着した場所が長野市内ではなく、長野インターチェンジ・・・
バスで市内に移動しようと思ったが、近くにあったバス停は高速バスの降り場。近くにいた地元のおばあちゃんに
「すいません。長野市内に行くバスありますか?」
と聞いてみたら
「そこから出ていますよ」
とのこと。
下車専用の高速バス時刻表の裏側をよく見たら・・・

川中島バス 長野県庁行き

ちゃんとあるじゃないか・・・ XD

16時40分。いいタイミングで川中島バスが来た。
長野駅に着いたところで、その正面にあるネットで予約しておいたホテルサンルート長野にチェックイン。インターネット接続キットの貸出サービスがあったので借りてきた。ノートPCを持ってきておいてよかった。
(現在、ホテルの部屋からブログ更新中)

今日はもう遅いので、駅地下の蕎麦屋で名物信州そばをいただくだけで終わり。
明日1日だけですが、長野の街を楽しんできます。

やっとチベットやチャイナと関係ない記事を書いたか、と思われたあなた、

    甘い!!

チベットサポーターの方や、昨年のことをよく覚えている方はお分かりでしょうが、チベットと関係大ありなのです!!

なぜか分からない方は、明日の書き込みをお待ち下さい。

謹賀新年――モンゴルより

あけましておめでとうございます。
2009年も宜しくお願いします。

今年の元日はモンゴルの草原(というより雪原)で迎えました。宿泊はもちろん、ゲル(モンゴル式移動住居)です。
モンゴルの草原で初日の出を拝みたいとの思惑だったのですが・・・明け方は生憎の曇り。10時ごろになってようやく私にとっての”初日”を山の上、雲の向こうに見ることができました。
雪原を乗馬したり、新年の瞬間を草原の民(といってもかなり現代化していますが)のゲルで地元の人たちと過ごしたりと、貴重な経験をさせていただきました。

今は、ウランバートルに戻ってこのブログを書いています。

今のところ、大きなトラブルはありません。何回か足を滑らせて転んだりスリ未遂に遭った程度です。

モンゴルより

ただ今、モンゴルです。

ウランバートルに到着する直前、飛行機から雪景色が見えて
「こりゃとんでもない所に来てしまったかな?」
と思いましたが、空港から外に出てみたらそれほどでもなく、ほっとしました。

しかし・・・

昨日、今日とウランバートルから南西360kmのハラホリン(カラコルム)に行ってきたのですが、服を着ていた部分は何ともなかったものの、唯一肌がむき出しになっている顔は、風が強いときには冷たいというよりは痛い!! でもちょっと街中に入ると何ともなかったりしました。

ハラホリンはモンゴル帝国時代の古都ですが、ほとんど何も残っていません。
しかし、残っているものの一つ、エルデニ・ゾーは、モンゴルの地にチベット仏教が伝播したことを伝える貴重な遺跡でした。
中にあるチベット寺院に入ってみると、お坊さんたちがお勉強の準備中! 邪魔しないようにご本尊に手を合わせて世界の平和とチベット解放を祈り、お坊さんたちに一礼し、表でマニ車を回しながらコルラするにとどめました。

今は、またウランバートルに戻っています。
ここはハラホリンほど寒くないですが、空気が悪くて・・・。
また、積雪が所々でアイスバーンになっていて今日までに3回も転んでしまいました・・・。

あと、食べるものといえばやはり、です。
私は嫌いではないですが、独特のにおいがあるので、帰国する頃には羊臭くなっているかも・・・

詳しい話は、また帰国後に旅行記でお知らせします。

ソウル着

取りあえずソウルに到着。

到着前のアナウンスで、「現地の気温は-5度」。

どのくらい寒いのだろうと恐る恐るインチョン空港の外に出てみたら・・・

全然大したことなかった。

中国D市の風の強い寒さにもまれてきた私には、風がほとんど無いソウルの寒さは何ということもない。

明日はモンゴル・ウランバートルに移ることになる。
現地は最高気温-15度の寒さだが、風はほとんどないようである。

-5度で「全然大したことない」なら、もう少し厚着すれば「こりゃ寒い」程度で済むかもしれない。

本日は、真露を飲んで一休み・・・

間もなく出発

現在、成田空港のネットカフェ。

間もなく、まずはソウルに向けて出発。ソウルで1泊後、ウランバートルへ向かうことになる。

 

ソウルで既に最高気温0度前後とのこと。ここで少し体を寒さに慣らすことができるが、厳寒のモンゴルは更に別世界となることだろう。

現地では多分、本ブログの更新も無理だろうから、1月4日の帰国後の報告をお待ちください。

 

 

では、行ってきます。

モンゴルビザ取得

※注:現在、モンゴルには、日本国籍で滞在期間30日以内等の条件を満たせばノービザで入国することができる。
https://www.tokutenryoko.com/service/visa/57
=======
この日の午後、渋谷近くにあるモンゴル大使館に出向き、モンゴルのビザが貼り付けられたパスポートを受け取った。幸い職場が渋谷(当時)なので、昼休みついでに行くことができた。
  ・
  ・
  ・
おっと。
肝心な申請時のことを書くのをすっかり忘れていた。

1週間前の、12月15日。
朝一番でモンゴル大使館に出かけてみると、窓口に来訪者は1人しかおらず、すぐに私の順番が回ってきた。
「ビザの申請をしたいんですけど・・・」
すると窓口の女性は、メモ用紙に何かを書いて私に渡してくれた。紙には、どこかのURLと書かれていた。
「申請用紙はオンラインで記入するようになっています。そこからアクセスしてください」
何で手書きじゃ駄目なんだろう――世の中IT全盛だが、別にそこまでハイテクなことをさせなくてもいいじゃないか。
まあ、文句を言ってもしかたがない。今はパソコンが無いので、職場でアクセスして(←不謹慎)書き込んで、午後にもう一度来ることにしよう(職場から近くて本当に助かった)。

さて、職場のパソコンで上記のURLにアクセスしてみると、

CONSULAR SERVICE OF MONGOLIA」(モンゴル領事サービス)

というサイトが表示された。そこから、「VISA」をクリックするとビザ申請画面に移るが、全て英語なので少々手間取った。

まず、最初の画面で国籍、パスポートのタイプ、滞在期間、パスポートに書かれている子供の人数を選択もしくは入力し、「Check Record」のボタンをクリックする。
その先の画面がいよいよ本格的なビザ申請の必要事項記入項目である。

必要事項を記入してボタンをクリックすると、自動的に必要事項が記入された申請用紙がPDFファイルで出力されるので、それをプリントアウト。後は写真を貼り付ければ準備完了。何と素晴らしいハイテクだろう!!
最後に、出力されたPDFファイルを忘れずに保存しよう。

午後1時、再度大使館に出向いて書類を提出する。すると、番号札とビザ申請料の振込先が書かれた紙を手渡される。受取日(だいたい5~7日後)までにここに振り込めということだ。
何で窓口で払えないんだろう――と思いつつ、翌日銀行へ振り込みに行く。振り込んだ際の領収書が受け取りの際に必要とのことで、最初は窓口で支払おうとしたが、職員のお姉さんが
「モンゴルビザですか? ATMで大丈夫ですよ。皆さんそうされています」
領収書はATMが吐き出す明細書でOKとのことだ。ということでATMで料金(旅行ビザの場合4400円)を振り込む。

そして本日。
指定された13時半すぎに大使館に出向き、窓口で番号札と振込明細書を渡すと、モンゴルのビザが貼り付けられたパスポートが戻ってきた。

これで、準備はほぼ完了である。

さあ、モンゴル到着まであと5日。
草原、ゲル、星空・・・

いや・・・
それよりも・・・

寒さが気になる。

ネットの天気予報によると、到着日のウランバートルの天気は・・・
晴れ
湿度81%
最高気温 -18度
最低気温 -30度
  ・
  ・
  ・
自分のことながら、もはや、物好きとしか言いようがない・・・

凍え死なないように注意しよう・・・

駐日本モンゴル大使館の公式サイトはこちら。
http://www.embassyin.jp/mongolia/

チケット取れました

昨日キャンセル待ちを頼んだ年末年始のモンゴル行きエアチケットについて、旅行社任せにするばかりでなく、自分でもネットで空きがないか探してみた。
ソウル(インチョン)-ウランバートルの往復便には空きがあるというので、問題は東京(成田)-ソウル往復の方である。この日の朝、その便に絞ってしらべてみると…

JALの正規割引でちょうどいい便に空きが見つかった!

これでソウル-ウランバートルの往復チケットのみの購入が可能であれば行けるではないか!

それが分かるや否や、早速昨日行った旅行社を再び訪れた。

前日のスタッフに「ソウル-ウランバートルの往復チケットのみの購入は可能ですか?」
と尋ねてみると
「国外発着のチケットとなると新宿本社になりますね」
との答え。つまりは新宿まで出向けば私の年末年始旅行は実現できるということだ。
気持ちが新宿に向き始めたところに…

「実は、東京-ソウルの帰りの便は押さえることができました。時間は1時間早くなりますが…」
それを早く言って下さいよ。大きな前進ではないか! 1時間早いくらい何の問題も無い。
「あと、行きの便も昨日の値段よりも2万7千円高いプランなら押さえることができました」

――ということは、料金の問題さえOKなら行けるということではないか!
昨日提示された料金は燃油費・空港使用料等込みで8万5千円。今押さえられるプランだと11万2千円とのことだ。

[lこの際2万7千円ぐらいの差なら大きなものではない。肝心なのは行けるか行けないかだ]

そう考えた私は即決した。
それにします!

こうして、年末年始のモンゴル旅行キャンセル待ちは僅か1日で終了した。

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