バス憧れの大地へ

雑記ブログ

猊下の御守り

チベット本土にいる子どもたちの就学を支援する草の根活動の方々が池袋でフリーマーケットを出展しているとの話を聞きつけ、そういう趣旨ならぜひ協力したいと、出かけてみた。

池袋のサンシャインビル内のフリマスペースの一角にお店を発見。チベット人の女性もいらしていた。
主催者によると、ネパール・ポカラにある難民キャンプ(私が行った所とは別)で作られた布製品やアクセサリーが今回の主な売り物。その中で、今回の目玉は・・・

ダライ・ラマ法王の御守り

2cmほどのマニ車をペンダントヘッドにした小さなものだが、中には

猊下直筆のマントラ[1]

が収められているという。

値札を見ると、結構なお値段・・・

――しかし・・・
――猊下直筆のマントラ・・・

そう考えると、金をケチるのが余りに罰当たりに思えてきた。

買います!!

その場の勢いとは恐ろしい。こうして、猊下の御守りは私のものになった。
ダライ・ラマ法王の御守り
「その場の勢い」などと書いたが、全く後悔は無い。むしろ、時間が経つごとに有難さがひしひしと感じられてくる。

私にとって、最高の宝物になることだろう。

私はいいから、チベットの人々を御守りくださりますように・・・

[1]正確には、「猊下直筆のマントラを顕微鏡でないと見えないほどに小さく複製したもの」。それでも中に入っているマントラが猊下の文字であることには違いない。

The International Campaign for Tibet 拷問禁止委員会提出資料

一昨日、政治犯として31年間拘束され、拷問・虐待を受けたチベット人パルデン・ギャツォさんの著書のレビューを書きました。
同書で描かれたのは獄中の様子のみでしたが、チベットの至る所で人権侵害が行われている実態を伝えるドキュメントがネット上に公開されました。

The International Campaign for Tibet 拷問禁止委員会提出資料

http://www27.atwiki.jp/ictreport/

2008年11月3~21日の日程で行われた国連拷問禁止委員会の第41回審議に提出された報告書を約1か月かけて大勢の人々の手で日本語訳したものです。
パルデンさんが著書で書いているように、抑圧者は自らの抑圧を隠そうとするものですが、今回の審議では、侵略国のこうした不誠実な態度が問題視されたようです。

報告書では、過度の強制行為、勾留中の処置と拷問の使用、監禁と拷問、精神的・心理的な虐待、反ダライ・ラマ政策の実施と弾圧を原因とする自殺、治療の拒否、報復的実力行使と強制連行(失踪)問題、刑事免責と法的代理人を得る権利の拒否――について言及されています。
チベットの人権侵害の場は、何も獄中だけではありません。市中で人が銃殺され、僧院でダライ・ラマを公に非難するよう強いられるという嫌がらせが行われ、病院で治療を拒否するなどのことが日常的に行われているのです。

文中で、こうした行為を「文化大革命当時の暴挙を彷彿とさせ」と表現しています。また、3月14日(2008年のチベット大弾圧の日)以降のラサに於いてほとんどのチベット人の家庭で誰かしらが失踪している事態を「第二次文化大革命」と評する証言者の声も書かれていますが、この評価は違うと思います。チベットでは50年の間がずっと文革状態にあるのです

17年前に釈放されたパルデンさんが著書で描いた地獄絵図が現在に至っても何ら変わっていないことが、この報告書でよく分かります。

太古の昔でもなく別の星でもありません。人権が重視される現代のこの地球において、こうした蛮行は続けられているのです。

書評「雪の下の炎」(パルデン・ギャツォ)

31年――何の年月かによってそれが長いのか短いのかは変わろうが、それが「獄中にいた期間」となると、「長い」ということになるだろう。しかもその人物は政府の思想に従わないという理由で拘束され、服役期間を度々延長され、釈放されたかと思うとまた拘束されてきた”良心の囚人”だった。それを考えると余りに長すぎると言わざるを得ない。

彼の名は、パルデン・ギャツォ。チベット・ラサ近郊のデプン僧院で仏教を学んでいた僧侶である。

自分の師がインドのスパイと疑われたこと、1959年3月10日、ラサで「チベット騒乱」の発端となった群衆行為が発生した際にたまたまラサに来ていて現場を通りかかったことが、彼の人生を狂わせた。獄中に繋がれた彼は、富裕層の家に生まれたこともあって、侵略国当局の執拗な拷問を受け、”思想改造”を迫られる。手枷足枷をはめられたまま殴る蹴るの暴行を受け、電気棒を口に押し込まれて歯をほぼ全て失ってしまう。
拷問を行った者の中には時として洗脳されたチベット人も含まれていた。また「タムジン」で同じ(そうすることを強要された)チベット人囚人たちから吊るし上げを受けることもあり、同胞が同胞を虐げるという悲劇さえ繰り返された。
同書には彼のみならず、その他チベット人の”良心の囚人”の悲劇が幾つも記されている。

しかし、彼の思想は決して”改造”させられることはなかった。

「人間の肉体ははかりしれないほどの苦痛にも耐えることができ、しかも回復する。傷は癒える。だが、精神が挫けてしまったら、すべては壊れてしまうのだ」

鋼のような強靭な精神力――これが彼に生きる力を与えてくれていた。彼だけではない。侵略国当局が抑圧すればするほど、チベット人を分断しようとすればするほど、政治囚たちは反発を強め、団結を固めていく。力と脅しによる抑圧で仮に土地を支配できたとしても、人の心と誇りは支配できないのである。

同書はパルデン氏の悲劇の人生を描き、侵略国当局の悪逆非道さ、抑圧による人権無視の支配のむごたらしさと虚しさを訴えるものであると同時に、そうした数多くの”良心の囚人”たちの群像劇でもある。

1992年、59歳になった彼はようやく自由の身となった。しかし彼は故郷にとどまらず、亡命の道を選ぶ。彼の強く熱い心は、彼が受けた非道な行為を全世界に訴えることを決意させたのである。
ラサからシガツェ、ニャラム、ダムを経て、カトマンズへ――その道筋は奇しくも、私が2007年のアジア旅行で辿ったネパール行きの道筋とほぼ一致していた。私がオフロード車でチベットの景色を楽しみながら通った道は、パルデン氏にとっては自由への、そして世界に向けての訴えへの、決死の道だったのだ。

彼はインド・ダラムサラでダライ・ラマ14世との謁見を果たす。そしてついに1995年、国連人権委員会の会場で、侵略国代表も出席する目の前で証言を行う。力による抑圧に対する言葉による反撃が始まったのだ。同書を世に出したのもその一環である。

彼の闘いは、拷問と脅迫から解き放たれた今もなお、続いているのである。

先述したように、侵略国の抑圧に抗う”良心の囚人”は彼だけではない。彼が去った後の獄中でも、自由を求める闘いはなおも続いているだろう。”雪の国”チベットで自由を求める熱い思い――「雪の下の炎」は消えることはない。

※            ※           ※

同書は1998年に出版されたものの一度は絶版となった。2008年、mixiを中心に復刊運動が展開され、「復刊ドットコム」にリクエストが集まった結果同年12月、めでたく復刊が実現し、2009年1月には書店店頭にも並ぶに至った。

再び絶版とならないようにするためにも、このブログを読んでいる皆さんにもご協力お願いしたく存じます。右上にアマゾンのバナーが設置してあるので、そこから購入することができます。

※            ※           ※

尚、蛇足だが、パルデン氏が逮捕される前の1951年の出来事として、以下のような記述があった。

「中国側は、張経武の到着に際して集まったギャンツェの群衆という写真を発表した。その説明には『中国政府代表を歓迎するチベットの民衆』と書かれていた。とんでもない大嘘である。私たちは私たちの指導者であるダライ・ラマのお姿を一目見ようと集まったのだ。」

もしかするとその写真とは、私が「嘘八百 中国官製『チベットの50年』」でその信憑性に疑いの目を向けたあの写真と同じものかもしれない。

<追記>
『雪の下の炎』 を口コミで広めよう! - “Fire under the Snow” by Palden Gyatso –」にて当エントリーをご紹介いただきました。
http://www.palden.info/?p=356

チベットの心@銀座

銀座にて開かれた「チベットの心」という集まりに参加してきました。
映画、チベット民族音楽、座談会と、割と肩の凝らない内容になっていました。

映画は、「モゥモ チェンガ―満月ばあちゃんチベット望郷の物語」と「ヒマラヤを越える子供たち」の2本。

「モゥモ チェンガ」は、ネパール在住の難民であるかわいいおばあちゃんがダラムサラへ行って、生き別れになっていた兄や姪と再会し、ダライ・ラマ法王と謁見する様子をカメラに収めたドキュメンタリー。時間の都合で全編は放映されず、即売会でDVDを買ってきたのでまたじっくり見るつもりですが、今回見ただけでも、チベットが侵略されたことで引き裂かれた一族の悲哀、ダラムサラに行くこと、ダライ・ラマ法王と謁見することがチベット人にとっていかに特別なことであるか(ダラムサラに行くというだけで村中の人から祝福を受け、体が見えなくなるのではと思えるほどカタをかけてもらっていた)が分かる内容になっていました。

「ヒマラヤを越える子供たち」は既にDVDも持っている映画でしたが、子供たちの心身両面での辛さが伝わってきて、何度見ても泣けます。子供たちの未来が明るいものになることを願わずにはいられません。

(どちらの映画も、後日詳しくレビューを書こうかと考えています)

チベット民族音楽は、ダムニェン(ギター?三味線?)、ヤンチン(琴。指ではなく両手に1本ずつ持ったばちで演奏)、リンプー(竹笛)を1人でこなすマルチアーティストの登場。チベットの高原や競馬の情景が目に浮かぶような演奏を楽しませていただきました。

座談会では、作詞家の湯川れい子さん、「地球交響曲」の龍村仁監督、NPOガイアホリスティック代表龍村和子さん、ダライ・ラマ法王 日本代表部事務所の方(お名前失念。申し訳ありません)の4方によるもの。
「チベット問題は他人事ではなく、地球そのものの危機の表れである」
「インド東部には学校が一つも無い難民キャンプが存在します」
「チベットでは今や、至る所で監視の目が光ってます」
「オバマ氏が大統領になり、ダライ・ラマ14世のファンであるヒラリー・クリントン氏が国務長官になることでアメリカのチベット政策は間違いなく好転する」
などの言葉が交換されました。

今回のイベントは、私には初の映画を除いて特別目新しいものは無かったですが、初心者でも割と入りやすいものだった気がしました。
今後もこのようなイベントが開催されることでチベットに、チベット問題に関心を持つ人が増えることを期待したいものです。

2009年――ただでは済まない中国

今年は2009年。
チベット、そして中国にとって重要な1年となりそうである。というのは、いろいろな意味で何十周年というアニバーサリーの年になるからだ。

まず、最初に挙げられるのが
1.チベット蜂起、ダライ・ラマ法王亡命50周年

1959年3月10日。中国共産党が観劇をダシにダライ・ラマ法王を拉致するのではないかとの噂が広がり、ラサのチベット人たちが法王を守らんとラサのノルブリンカ周辺に集まって抗議行動を行った。中国共産党軍はそれを武力を以て排除し、ダライ・ラマはインドへと亡命する。
3月10日はチベット人にとって特別な意味を持つ記念日である。増してや50周年となると、昨年3月以上の大きなムーブメントが起こるであろうことは十分に予想できる。

2.六四天安門事件20周年

1989年6月4日。民主化を求める中国人のデモを中国共産党軍が踏み潰す惨事が起きた。自国の国民を自国の軍隊が攻撃し、殺戮する光景が全世界からひんしゅくを買ったあの事件である。
これに関連する動きも必ず何か起きることだろう。節目の年という以外にもそう予想する根拠がある。
2008年12月10日、ある文書がネットを賑わせた。
自由・人権・平等・共和・民主・憲政を理念に、立憲民主制の枠組みの下に「中華連邦共和国」樹立を目指すことをうたった08憲章である。20周年記念日のほぼ半年前となる時期にこの憲章が発表されたのは偶然ではなく、このタイミングで出すことで20周年のその日に向けて中国国民の意識を高める狙いがあったのではないか。
「何が」までは言えないが、やはり6月4日前後に「何か」がありそうな予感がする。

3.法輪功弾圧10周年

気功団体・法輪功が中国共産党政府により”邪教”扱いされ弾圧を受け始めたのがちょうど10年前のことだ。法輪功が宗教団体か否か(本人たちは宗教性を否定しているし、日本では普通にNPO法人格で活動している)はここでは論じないが、今や反中国共産党の一大勢力になっているのは事実だ。
10年という節目の年で独自の動きを見せる可能性もあるだろうし、六四天安門事件に関わる動きがあればそれに呼応することも考えられなくない。

というように、2009年の中国は数々の火種を抱えている。しかし、敵も黙ってはいないだろう。
何しろ、
4.中華人民共和国建国60周年
というメンツがある。
2010年には上海万博を控えていて、普通なら国際社会から更なるひんしゅくは買いたくないだろうが、何せ五輪直前に平気でチベット弾圧を行う集団である。それに、チベットの民族運動弾圧でのし上がってきたような人物を国家主席に頂く集団である。また平気な顔をして装甲車などの過剰な装備を使い全力で踏み潰しにかかることだろう。

自由・人権・平等・共和・民主・憲政の勢力は悲願を達成できるのか。

「中華人民共和国」は無事に10月1日(建国記念日)を迎えることができるのか。

いずれにしても、ただでは済まないだろう。

目が離せない1年になりそうだ。

フリー・チベットデモ納め&チベット本土の「今」

東京・新宿にて(恐らく)今年最後のフリー・チベットデモに参加。
今回の参加者は50人足らずと、1000人以上集まった3月のデモに比べるとかなり人数は少なかったが、在日チベット人の代表の方の言葉を借りると、「これまではブームで参加してきた人も多かったが、今日集まった人たちは本物の支持者」とも言えるだろう。

午後1時40分から約45分間、チベットの自治実現支持を訴えながら、新宿の街中を練り歩く。

デモ終了後は参加者全員で輪になって手を繋ぎ、「フリー・チベット」三唱する。

今回は初めてカルデンさんと言葉を交わすこともできた。また、以前からの顔見知りと言葉を交わしたほか、以前参加した映画の上演会でたまたま隣の席にいた方を参加者の中に見かけて声をかけ、いろいろ話をさせていただいた。
しかし、元来一匹狼なのが災いし、今年はいろいろ参加しながらなかなか強いネットワークを広げられずに終わってしまった。

これで、今年の大きな活動は終了。
こうした活動がいつまでも行われるような状況が続くことは望ましくないのだが、来年も積極的に力を貸し続けていくつもりである。私一人の力など微々たるものだが、”一人”が大勢集まって”手を繋ぐ”ことができれば大きな力になる。私は、手を繋いだ輪の中の一人であり続けたい。そして、来年はもっともっとネットワークを広げていきたい。

その後、新宿で正月休みの旅の準備にと買い物をした後、夜からは短編映画の上映会に参加する。

今回上演された映画は、”LEAVING FEAR BEHIND”「恐怖を乗り越えて」。チベット本国に住む人々の本音を取材した貴重な映像である。チベット難民の声は書籍や映像でこれまで何度も接してきたが、本国で差別と弾圧をリアルに受けている人々の声に接するのはこれが初めてだった。

「オリンピックは素晴らしいイベントだが、中国は『チベットでの人権侵害を改善する』という条件の下でオリンピック開催国にさせてもらったはずなのに、守られていない。私は北京五輪を支持することはできない」
「中国は『宗教の自由を認める』などと言っているが、ダライ・ラマ猊下がここにいらっしゃらない今、宗教の自由など全く無い」
等々。
そして、TVに映った法王のお姿に号泣し、小さな小さなTVに向かって五体投地するチベタンの老人たち――見ていて胸が痛くなった。

「顔は隠してもいい」と言われながらも「顔を出さないと意味が無い」と、堂々と自分の顔をビデオカメラの前に出しながら証言するチベット人の勇気は賛辞に値する。

無事撮影と編集が終わり、公開されたこの映画だが、取材に当たったトンドゥプ・ワンチェン氏とその助手のジグメ・ギャツオ氏は撮影が終わった直後に拘束されたという。取材する側、される側の勇気ある、尊敬に値する行動に比べて、中国共産党の何と卑劣で自己中心的で器の小さいことか

「50人のチベット」展

表題の写真展が行われているというので、列車で片道1時間半かけて東村山まで行ってきました。

この写真展はチベットの魅力を伝えようと、チベット旅行家の皆さんが50人+αの方による写真を集めて展示したもの。中央チベットはもとより東チベットや、私がまだ行っていない西チベットの写真もあり、「チベットにはこんな風景もあるんだ」とチベットの魅力を再認識させてくれました。

中でも目を引いたのが・・・

カイラス

昨年、チベットからネパールへ抜ける際にも「またチベットに来て、今度はカイラスを巡礼したい!」と思ったものですが、今回カイラスの傑作写真を見てその思いがまた強くなりました。
(そのためにも中国が譲歩してチベット問題を早期に解決し、チベットに安定をもたらしてほしいものです)

写真以上に楽しめたのが、主催者の方々や他の来訪者との歓談。会場に置かれていたちゃぶ台を囲みながら実際にチベットへ行かれた方との歓談は久しぶりで、チベットの魅力や旅のこぼれ話などで、アットホームな雰囲気の中多いに盛り上がりました。

この日は夕方から「旅行人ノート チベット」筆者の講演会などのイベントもあったのですが、残念ながら既に制限人数いっぱいでこちらには参加できないまま帰途につきました。

この展覧会は11/23(日)15時まで、東京の西武新宿線東村山駅西口から徒歩5分のカレー屋「MARU」2Fギャラリーにて開かれています。

心の本質は光―ダライ・ラマ法王東京講演

夢の中に、チベット高原の大地とポタラ宮が現れた。この日参加しようとしているイベントに、やや興奮気味のようだった。

午後から休みをもらって外出する。普段は相撲で使われる両国国技館がこの日は別の目的でやってきた来訪者で長蛇の列となっていた。
会場をよく見渡せる枡席の好ポジションに座り、開演を待つ。

午後2時すぎ、2度ほど”肩透かし”があったものの3度目の正直で本日の主役が入場。
会場がスタンディングオベーションで迎えたその人物は・・・

 ダライ・ラマ14世

4500人の来訪者が、法王のありがたいお言葉を2時間半にわたって拝聴した。

法王の講演は昨年、インド・ダラムサラでも参加したが、あの時は壁に阻まれてお声はすれども話しているお姿は見えず、だったので実際にお話をされる姿をこの目で生でしっかり見るのは事実上、これが始めてだった。穏やかながらも力強く、ユーモアのある語り口調は健在。病み上がりなのが心配されたがお元気そうだったので安心した。

お話の内容は、主に在家信者向けで分かりにくかった昨年の講演に比べ、今回は一般者向けということで非常に分かりやすかった。精神的な問題は精神的なレベルにおいてのみ解決可能で、感情の限度を自ら知り、心を持続的に観察・調査してバランスを取ればストレスや苦しみも軽減されるということ、心の本質は光であって「愛と慈悲の光が何より大切」などとの言葉を賜った。
(予想通り、政治的なお話は一切無かった。と言うか、政治的な話をしないことが来日の条件だった)

今回の講演で感じたのは、法王が想像以上にリアリストだということ。
「私に特別な力を期待する人が時々いるが、そんなものは無い。私は全世界の60億分の1の、1人の人間にすぎない。中にはヒーリングの力を期待する人もいるようだが、私はヒーリングの力など信じない。そもそも私にヒーリングの力があれば、先日受けた手術など必要なく自分で治せたではないか」
ともすれば小難しくなりがちな「人の心の内面」というテーマの講演がこれだけ分かりやすかったのは、法王がリアリティーある視点からお話しになったからではないか、という気がした。そして、法王がチベットの独立ではなく「高度な自治」を求めていること、それを非暴力によって実現しようとしていることも法王のリアリズムを表すものに他ならない。

講演の後は質疑応答。法王に質問したいという聴講者が大勢列をつくったが、時間の都合で4人で終了。その4人の中には、最近思い切った転身を表明しつつもそのことで心に悩みを抱えている某金メダリストもいた。

開始時と同じようにスタンディングオベーションで法王を見送り、講演会は終了した。
これからの人生を心穏やかに過ごすためのヒントが得られたような気がした。

講演終了後、映画「チベットチベット」のキム・スンヨン監督と再会しすこしばかり立ち話。国技館を出てからは顔見知りのチベット・サポーターと場所を変えて懇談。その際にウイグル人の方や中国民主派の方と交流できたのも大きな収穫となった。

ダライ・ラマ法王来日

日本にいらっしゃいました! 偉大なる仏教者であり、平和の象徴であり、チベット国の指導者であるダライ・ラマ14世が!

手術をしたばかりのためか少々やつれて見えますが、慈悲深い笑顔は健在です!

法王は11月4日に北九州で、11月6日には東京で講演を行います。東京での講演には、会社の皆さんの了承を得て私も駆けつけます!
多分、仏教の法話が中心で政治的な話は無いでしょう。

一方、中国では…

「ダライ・ラマ特使と中国が対話  自治など原則論で対立」(共同通信)

記事には
これまでの対話でチベット自治区の「高度な自治」を求めるダライ・ラマ側と、拒否する中国側とは原則論でまったくかみ合わず、今回の対話でも歩み寄る可能性はほとんどない
とありますが、歩み寄る可能性はゼロでしょう。カルト教団[*]相手にまともな会話が成立した試しはありません。先日書いたように、法王は中国との対話を放棄することを示唆し始めています。高い確率で、これが最後の対話となるでしょう。

とすると、チベットの真の自治を目指す拠り所は国際世論の圧力しかない訳ですが――相手はそれすら無視するカルト教団。一筋縄ではいきません。

*カルト教団・・・言うまでも無く、モウタクトウを始祖とする中国共産党のことです。

ダライ・ラマ法王様、対話路線に諦め?

手術を要する病気を患って気弱になられたのかもしれませんが、ついにダライ・ラマ法王様が中国との対話に限界を感じてしまわれたようです。

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「中央政府との対話に自信を失った」=ダライ・ラマ14世がインドで声明―米メディア

http://www.recordchina.co.jp/group/g25292.html

2008年10月26日、米AP通信によると、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世はインドのダラムサラで発表した声明で、「中央政府との対話に自信を失った」とコメントした。環球時報が伝えた。


記事によると、ダライ・ラマ14世は声明の中で、「(対話による進展への期待を)すでに放棄した」と述べた。チベット問題解決を求めるダライ・ラマ側は、「これまで誠意を尽くして中間路線を模索してきたが、中央政府が積極的な反応を見せない」とし、「今後の路線は600万のチベット人民に決めてもらう」とする意向を示した。記事は、今月末に行われる話し合いを前に、ダライ・ラマ側が「尋常ではない態度を示して来た」と指摘した。

英BBCは、独立を求める過激派が「強硬路線」をとるようダライ・ラマに圧力を掛けているが、「『非暴力』の姿勢を崩せば、せっかく築き上げた西側諸国との信頼関係も失ってしまうだろう」と指摘している。また、中国人民大学国際関係学院の金燦栄(ジン・ツァンロン)教授は、今回の発言を「苦境から脱するための、中央政府と西側各国に対する一種の脅し」とした上で、「温和路線を捨てることは、自らの首を絞めるようなものだ」と切り捨てた。

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中華人民共和国=中共が自国の利益と自国の正当化しか頭に無く、他国とまともに対話する能力がある国でないことはもはや常識ですので、法王はよくぞここまで辛抱できたと、賞賛に値します。

ただ、上記のニュースにも書かれているように、対話を諦める=これまでの中道・非暴力路線を放棄する、となった場合、アジア最凶の軍事力を持つ人民解放軍[*]に太刀打ちできる力などないチベットに勝ち目は無く、上記のニュースにも書かれているように、「『非暴力』の姿勢を崩せば、せっかく築き上げた西側諸国との信頼関係も失ってしまうだろう」(英BBC)との懸念もあります。

一方で、こんなニュースもありました。

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http://www.afpbb.com/article/politics/2532927/3434712

チベット対中要求、完全独立への先鋭化も

【10月27日 AFP】中国チベット(Tibet)自治区をめぐる中国政府と亡命政府の協議に進展がないなか、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ(Dalai Lama)14世の側近は26日、中国政府に対する要求を、これまでの自治権拡大から、より強度な完全独立へと先鋭化させる可能性もあることを示唆した。

 この変更方針が実現すれば亡命政府にとっては歴史的転換となるが、中国側が態度を硬化させるのは確実だ。

 チベット運動の方向性は、来月、世界中の亡命チベット人コミュニティから300人の代表が集まって開く特別会議の焦点になるだろう。運動の目標が、これまで中国政府に求めてきた自治権拡大から完全な独立の達成に変わる可能性がある。ただし、ダライ・ラマの報道官テンジン・タクラ(Tenzin Taklha)氏は、AFPに対し「唯一議論の余地がない点は、運動が今後も非暴力的であり続けることだ。このことは全員が同意している」と述べた。

 前週末、胆石の手術後に初めて公の場で演説したダライ・ラマは前週末、7回にわたってチベット側の特使と中国政府高官と協議を重ねた結果、中国側からなんらかの譲歩を引き出すことはあきらめたと語った。

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かなりセンセーショナルな記事ですが、唯一の救いは、

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ただし、ダライ・ラマの報道官テンジン・タクラ(Tenzin Taklha)氏は、AFPに対し「唯一議論の余地がない点は、運動が今後も非暴力的であり続けることだ。このことは全員が同意している」と述べた。

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この部分。

“非暴力”を放棄しないとのことで、少しほっとしました。

いずれにせよ、対話が通じない低脳な相手なので対話を放棄することには反対しません。

しかし、非暴力だけは貫いていただきたいです。法王様には、ご自身の著書の中で賞賛しているあの方のようになっていただきたいです。

チベットのガンディー“に。

*人民解放軍

この軍隊は中国国軍などではありません。中国共産党の”私兵”です。

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