バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

ラオス国旗ラオス

ラオス地図

概要

インドシナ半島中部に位置する、メコン川に抱かれた東南アジアの内陸国。西でタイ及びビルマ、南でカンボジアと、東でラオスと、北で中国・雲南と国境を接している。

古代、現在の中国・雲南を拠点としたナンチャオ王国(南詔国)がこの地を支配した頃からラオ族の定住が始まる。
その後1353年、ラオ族の統一王朝ラーンサーン王国が興り、建国直後からカンボジアのクメール王国より上座部仏教が伝わり、以後仏教が盛んになる。
18世紀、王朝がビエンチャン王国、ルアン・プラバーン王国、チャンパーサック王国3つに分裂。それぞれがシャム(タイ)やカンボジアの影響下に置かれ、両国の争いに巻き込まれて国内は乱れ、1779年までにいずれもシャムの属領になる。
19世紀末、フランスとの戦争でシャムが敗れ、ラオスは1905年、フランス領インドシナの一部としてフランスの保護国となる。第2次大戦中は日本の支配下に置かれるが、日本の敗戦後の1947年、フランス・ラオス協定によりフランス連合の枠内でラオス王国が独立。1953年にはフランスがインドシナから撤退したことで完全独立を果たす。
しかし独立後は、アメリカや南北ラオス等を巻き込んだ右派、中立派、左派(パテート・ラーオ)による内戦時代に突入。1973年、べトナム和平に関するパリ会談を受けてラオス和平協定が結ばれ、アメリカ軍がラオスから撤退。1974年、三派連合によるラオス民族連合が成立。1975年、南ラオスのサイゴンが陥落し、首都で反右派デモが発生。同12月、三派連合により王制の廃止と共和制への移行が宣言され、共産主義のラオス人民民主共和国が成立する。

産業は農業中心。その他林業(最近では森林破壊が問題となっている)、鉱業、発電、観光業など。
熱帯モンスーン気候で暑期(3-5月)、雨期(6-10月)、寒期(11-2月)に分かれる。
民族はラオ族がほとんど。宗教は上座部仏教、アニミズムなど。

人口約607万人、面積23万6800平方km、首都はビエンチャン。通貨はキップ。公用語はラオ語。日本との時差は-2時間。
コンセントの形状はA A、C C

ビザ(日本人の場合)
15日以内の滞在ならビザ不要。ビザが必要な場合も国際空港や国境(一部除く)でアライバルビザが取得可能。
日本からのアクセス
日本からの直行便はなし。タイやラオスから空路もしくは陸路で乗り継ぎを。
主な都市・観光地(青字は到達済み)
ビエンチャンルアンパバーン、ポーンサワン、ジャール平原、バンビエン、フエイサイ、ウドムサイ、ボーテン
サワンナケート、パクセー、デーンサワン
リンク
当旅行記の該当部分

※リンク先ページの[前][次]はエリア別ではなく「時期順」モードのものです。

アジア周遊第7部 マレー半島、タイ

タイ北辺-2~ゴールデン・トライアングル

アジア周遊第8部 カンボジア、ベトナム、ラオス

フエ-サワンナケート~ラオス入り…米・キャベツバス
ビエンチャン-1~メコン川と質素な寺院
ビエンチャン-2~パトゥーサイ、金ピカ寺院、メコン川辺の団欒
ビエンチャン-3~ブッダ・パーク
ビエンチャン-バンビエン~更にのどけき場所へ
バンビエン~チューブ下り
バンビエン-ルアンパバーン~美しきサンセット
ルアンパバーン-1~「だらだら、のんびり」がこの街の過ごし方
ルアンパバーン-2~托鉢、パークウー洞窟
ルアンパバーン-3~クアンシーの滝、ラオス最後の夜
ルアンパバーン-ボーテン~さらばラオス、そして中国へ

<新着記事>

Google

WWWを検索a-daichi.comを検索
お勧めメディア(Amazon)
明日また旅に出たくなる100の話