メクネス-2 ~ララ・アウダ広場周辺の歴史の語り部
2013年11月1日
ララ・アウダ広場
一旦メクネスの「へそ」エディム広場に背を向けてマンスール門をくぐる。その先にある城壁に囲まれたララ・アウダ広場は、賑わいこそエディム広場には及ばないものの、古い時代のメクネスを物語る“語り部”的な遺跡を巡るに当たって必ず通ることになるポイントだ。
この広場西南の片隅に、緑色の屋根を戴いた建物がポツンと1軒、建っている。これはクベット・エル・キャティンといい、この地に王都を建設しようとしたアラウィー朝のムーレイ・イスマイルが要人たちと謁見したり儀式を謁見したりした建物だ。内部はがらんとしていて、残念ながらスルタンの栄華をしのぶにはもの足りない。
クベット・エル・キャティン
キリスト教徒の地下牢
それよりも、建物の前の広場に幾つもあけられた井戸を小さくしたような丸い穴が気になった。その正体は、地面の下にある遺跡を参観するのに便利なように作られた、明かり採りの窓だった。
地下にあったのは――キリスト教徒の地下牢だ。今でこそ明かり採りの窓や電灯が設置されて足元や壁を気にすることなく歩きまわることができるが、地下牢としての役割を果たしていた当時は真っ暗闇だったという。
何のために使われていた施設かはその名前が示す通り、異教徒弾圧だ。多い時には4万人が収監されていたというが、そこまで広いとも思えない。どれだけぎゅうぎゅう詰めの劣悪な環境の下に置かれていたのか、想像を絶する。
そして、白い石の壁をよく見ると、褐色のしみのようなものが見受けられる場所がある。恐らくは血痕だろう。ここは文字通り「血塗られた」場所だったのだ。
一体、宗教とは何のためにあるのか?
それは、心の安寧を求めることにほかならないのではないだろうか。だとしたら、いかに信仰が違うとはいえ、どうして宗教の名の下に弾圧や殺戮を行うことができるのだろう?
今でこそ仏教への信心を芽生えさせている私だが、かつてはそうした観点から宗教全般に対して懐疑的になっていた。
宗教が人々の争いや弾圧の原動力になってどうする?
宗教は世界平和の実現の原動力であるべきではないのか?
この遺跡を参観して、そんな思いを新たにさせられた。
ムーレイ・イスマイル廟
ムーレイ・イスマイルの眠る場所
もう1箇所、近くに当時をしのばせる建物があった。メクネスに王都を築く夢半ばで他界したムーレイ・イスマイルの墓が置かれたムーレイ・イスマイル廟である。モロッコでは通常、こうした霊廟はムスリム以外入れないのだが、ここだけは非ムスリムも入場が許可されている(但し墓のある部屋だけはムスリムしか入ることができない)。
霊廟とは言っても内部は華やかである。イスラム芸術の粋を集めた建築であり、壁の装飾やタイルの文様、真っ赤な絨毯などが印象的だ。死後もスルタンがここで快適に生活ができるように、との配慮があったのだろうか。
それにしても、先ほど訪れたキリスト教徒の地下牢とどうしても対比してしまう。ここに葬られるという幸せを得られたただ1人の人物と、あそこで非業の最期を遂げた4万人――どうしてこんな不公平が発生してしまうのだろうか。
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