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世界への旅(旅行記)

モロッコ

サハラ砂漠への道-1 ~アトラス越え、アイット・ベン・ハドゥ、ワルザザード、カスバ街道

2013年10月28日

午前7時すぎ。荷物を纏めて、まだ眠りに就いたままのジャマ・エル・フナ広場に出る。広場の東南隅には10数人収容のワゴンバスが何台か停まっていて、集まってきた外国人客を次々に乗せていく。
いずれも、サハラ砂漠ツアーに向かう車だ。私もその中の1台に案内された。ドイツ人、フランス人、イギリス人、オーストラリア人、韓国人と国際色豊かな同行者に囲まれていざ、サハラに向けてマラケシュを出発だ。
マラケシュ~アトラス山脈間の渓谷
マラケシュ~アトラス山脈間の渓谷

車は時折、渓谷などの眺めのいい場所でカメラ休憩を入れながら、南へと針路をとる。車窓からの風景は、次第に植物の背丈が低くなり、赤茶けた地面が露出する割合が多くなっていく。

やがて行く手に、白い雪を戴いた長い山脈が見えてきた。アトラス山脈である。この山脈こそが、モロッコを地中海側とサハラ砂漠側に分ける分水嶺なのだ。
サハラへの道はこのアトラス山脈を越えるルートになる。幾重ものヘアピンカーブを曲がりながら峠道を上り、そしてアトラスを越えたその時…

私は居眠りをしていて、貴重な一瞬を見逃してしまっていた。
アトラス山脈
アトラス山脈(サハラ側から)

アトラスを越えた後に立ち寄った最初の撮影スポットからは、一際目を引く大きな建築物を見ることができた。何やら歴史のありそうな建築物である。要塞だろうか、村落だろうか。
[これは見事だ。じっくりと見てみたいな]
そう思っていたところ、撮影スポットを出発したバスはまたすぐに停車し、私たちはその要塞へと導かれた。
この遺跡はアイット・ベン・ハドゥという。高台から眺めた時に感じたように、ここは7世紀にアラブ人の支配から逃れてきたベルベル人によって造られた、かつての要塞であり、かつ集落だ。即ち、日干しレンガや土壁の家屋を密集させて造った「クサル」と呼ばれる要塞化された集落なのである。
ガイドに連れられて歩いたからよく分からなかったが、この建造物の内部はかなり複雑な構造になっていて、マラケシュのスーク(市場)同様に迷路のような要塞であるようだ。1000年以上の歴史があるというのに保存状態は極めて良く、世界遺産にも指定されている。
アイット・ベン・ハドゥ
アイット・ベン・ハドゥ
アイット・ベン・ハドゥ
アイット・ベン・ハドゥで使われていた道具
一部の家屋にはかつて使われていた織機や食器、かまどなどが残されている。既にこの集落に住む人は殆どいなくなっているが、ここにいるとかつてここに暮らしていた人々の息遣いが聞こえてくるような感覚を覚える。
何か映画にでも出てきそうな雰囲気のある遺跡だが、実際、ここで何度も映画のロケが行わている。『グラディエーター』『アラビアのロレンス』『ナイルの宝石』――しかし、この遺跡を見て私が真っ先に思い浮かべた映画は、何と言っても『インディ・ジョーンズ』だ。今にもハリソン・フォード演じるインディアナ・ジョーンズが馬に乗って颯爽と走ってきそうな“秘境”の雰囲気に満ちている。

アイット・ベン・ハドゥから更に南へ30km。ワルザザードという大きな街に到着する。帝国主義時代にフランスがサハラに向かう前線基地として築いたオアシス都市だ。
私たちは街外れの巨大な城塞(カスバ)の前で休憩を取った。このカスバはタウリルトのカスバと呼ばれ、フランス軍が来る前からあった歴史ある建造物である。ちょっとだけ中に入ってみたが、建物の内部はやはり迷路のよう。ちょっと道を間違えると目的の場所には辿り着けなくなってしまうような構造になっている。奥までは入れないようになっていたが、うっかり深入りしてしまったら間違いなく、短い休憩時間の間に抜け出すことは不可能だっただろう。

タウリルトのカスバ
タウリルトのカスバ
カスバ街道
「カスバ街道」にはこんなカスバが幾つもある

ワルザザードからは針路を南から東へと変えて進む。このルートは「カスバ街道」の異名があり、その名の通り、道沿いには幾つものカスバを見ることができる。ここに住む人々の歴史は、外敵からの守りの歴史でもあったのだろうか。

夕刻、ブーマルン・ダデスの街を通過。カスバ街道はこの街で右折するのだが、私たちの車はここで右折せずにそのまま直進し、その先にある宿でこの日の夜を過ごす。到着した頃には辺りはすっかり暗くなっていて、ここがどのような場所かを知るのは翌日の朝を待つことになる。

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