バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

ラダック、北インド(2011年)

レー―マナーリー(1)

2011年10月 4日

前日の10月3日夜11時半すぎ。レーのジョカン前でマナーリー行きの車を待つ。
他に誰もいない道端に立って、犬たちがそう遠くない場所で激しく吠え出したのに少々びびっていたところに、車がやって来た。10人以上乗ることのできる大型のジープである。

準備が整ったところで、いざマナーリーまでの485kmの旅路に繰り出した。
まずは上ラダックの街道を走るが、何度も通った場所だというのに、真っ暗だといつもと違う場所のようにも感じられる。

ジープはティクセを、カルを通過し、ウプシで右に曲がって南へ進路を変える。ここから舗装道路が無くなり、車は砂煙を巻き上げながら走る。揺れも多少あり、車酔いを殆どしたことがない私も、少し気持ち悪くなった。

しかし、最大の敵は揺れではなかった。

異様なほどの寒さである。

これまで夜の時間帯は、例外なく宿の室内でぬくぬくと過ごしていた。そのため、ラダックの夜の気温がどのようなものか、まるで知らなかったのだ。

寒い。

この車にはエアコンなどという気の利いたものが付いていなかったので、風こそしのげるものの外の寒さが殆ど緩和されることなく伝わってくる。
私も勿論、できるだけの装備をして臨んだのだが、それでも寒い。もしかしたら0度を下回っていたのではないだろうか

これが、「1日の間に夏と冬がある」とも言われるラダックの夜の寒さか・・・

寒さに耐えつつ何とか軽く睡眠をとっていたところを、起こされた。レーから184km地点のパンで、パスポートチェックがあったのだ。

パスポートチェックを終わらせて暫くして、再び走り出したが、パンのテント村前で再び停車。見ると、ここに来た全ての車が停められているようである。
東の空が白み出してくるが、寒さは全く変わらない。テント村で焚かれている火に当たってみたりするものの、余り効果は無い。

空が明るくなった朝6時すぎ、ようやく通行許可が出て、待たされていた車が続々と発車していく。
太陽が山陰から出て車の中にまで陽光が射すようになって、ようやく凍りつきそうになっていた体が解凍されていった。

そこから先は、アップダウンが激しいものの、道路はおおむね舗装整備されていて、実に快適な道中となった。
舗装されたレー~マナーリーの道
しかし、そこは峠道。注意して走らないと↓のようなことになるので、ご用心。
前輪を踏み外したトラック

このコースの最高点は、夜の寝ている間に越えたタグラン・ラ(5317m)だが、パンを過ぎてすぐの所にも、ラチュルン・ラ(5065m)、ナキー・ラ(4950m)という標高5000m級の峠を立て続けに2つ越える。このコースは、計5つの峠越えを有する難所なのだ。
そんな過酷な道を走り続けるのだから、車も大変。道中、こんな場面も。
タイヤ交換
タイヤ交換

11時ごろ、バラトプルの茶屋で休憩。インスタントラーメンの簡単な昼食をとる。
明るくなってからというもの、このコース沿いにはゴンパ(僧院)は勿論、チョルテン(仏塔)もタルチョ(五色の祈祷旗)も見ることができず、仏教圏を外れた印象が強かった。しかしこの茶屋では、ここまで出張してきている人の信仰を反映してか、タルチョがはためき、テント内にはダライ・ラマ14世の写真も飾られていた。
バラトプルの茶屋
ここからマナーリーまで約200km。中間地点は既に過ぎていたが、区切り的にここから先が後半戦だと言っていいだろう。


※ 「ラ」とは「峠」のこと。

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