イラクリオン・1 ~メーデー@クレタ島
2011年5月1日
25アウグストゥス通り。坂の下にエーゲ海が見える
午前6時前、ピレウスからの船はクレタ島第1の都市であるイラクリオンに到着した。旅行客が集まる“イラクリオンのカオサン通り”とも言うべき25アウグストゥス通りまで歩き、予め目を付けていたユースホステルに赴くが、門が閉ざされている。暫く店先で待ち、スタッフが来て門が開いたところでチェックイン。バックパックを下ろし、前日までの服を洗濯したところで、クレタ島巡りに繰り出す。
25アウグストゥス通りの坂の下にはエーゲ海が見える。軽く朝食を済ませた後、先程は素通りしてしまった海辺へと足を動かす。
坂を下りた先は、オールド・ハーバーと呼ばれる小さな港。ヴェネツィア時代の要塞を持つ長い波止場に守られるようにして、小型のヨットや漁船が所狭しとひしめき合っている。この時は船の出入りこそ無かったが、船の整備をする人、波止場で散歩や釣りをする人などは散見することができた。
オールド・ハーバー
奥に見えるのがヴェネツィア時代の要塞
要塞の向こうまで波止場を歩いてみると、その先にはエーゲ海が広がっている。ここまで船でエーゲ海を縦断しながらも夜の闇に包まれていてその海原を見ることができなかっただけに楽しみにしていた風景だったが、残念ながらこの時は雲が多く、海も空の色そのままにグレーがかっていて、マリンブルーの大海原を拝むことはできなかった。
波止場で釣りをする人。背後には雪山が見える
陸の方に目を向けてみると、街の向こうに白い雪を頂に抱いた山脈も見える。東西に細長いクレタ島だが、島の中央を東西に走る山脈は標高2000mを超えるのだ。それにしても日本とほぼ同じ緯度にある温暖な気候で、最高峰でも2500m弱の山に5月になっても雪が残っているというのは少し意外だ。
海の次は街だ。再び陸側に足を向けて25アウグストゥス通り界隈をぶらぶらと歩く。
聖マルコ大会堂などの石造りの古い建物もあれば、壁が淡い暖色系に塗られたモダンな建物もあるが、うまく調和が取れているように感じられた。これが「景観を守りつつ開発する」という好例なのかもしれない。
それにしても、午前10時をとっくに過ぎているというのに、営業を始めている店はまばらで、人通りも少ない。日曜日とはいえ、この静けさは一体どうしたことだろう…。
25アウグストゥス通り界隈の町並み
聖マルコ大会堂
博物館もである。元々日曜日休館だったのに間違えて行ってしまったクレタ歴史博物館はともかくとして、日曜日は朝から夕方まで開館しているはずの考古学博物館もこの日は臨時休業だ。
一体どうしたことか ―― その答えは、考古学博物館近くのエレフテリアス広場で判明した。
広場にはデモ隊が終結しており、私が見ている前でシュプレヒコールを上げながら隊列を組んでゆっくりと行進を始めていた。
メーデーのデモ
この日は5月1日…
そう。メーデーだったのである。
[そういうことなら、仕方がないか…]
元より私はこの手の活動には理解がある方であるし、増してやギリシャは金融危機に陥っていて、前年のメーデーなどは怪我人や死者が出る程のデモがアテネで発生したのだ。この程度のデモなら可愛い方である。
イラクリオンには明日もまる1日滞在する予定なので、博物館は明日参観すればいい。取りあえずはクレタ島を訪れた大本命の目当てであるクノッソス宮殿を訪れることにした。
しかし、バスターミナルに到着してクノッソス行き専用の窓口でチケットを買い求めたところ…
「クノッソスは今日、閉まってますよ」
―― クノッソスもか…
メーデーを恨みはしまい、と心に言い聞かせつつ、それではどうしようかと考えを巡らせた。
[そうだ。町並みを見るだけならメーデーの影響はあるまい]
そう考えた私は、町並みが美しいといわれる街へのバスチケットを買い、少し待ってバスに乗り込み、西へと針路をとった。
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