バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

ペルー

マチュピチュ-3 ~“俗”のエリア

インティワタナから丘を下りて大広場、そしてパチャママ神殿へ。このあたりにはリャマやアルパカが放し飼いにされていて、近づいても人を恐れない。かつてここにインカの人々が暮らしていた時も、この広場はもしかしたら牧場として使われていて、こうしてリャマやアルパカが放牧されていたのだろうか。

パチャママ神殿
パチャママ神殿
リャマの親子
こんな間近にリャマの親子が

パチャママ神殿は遺跡の一番奥に当たり、ここからはUターンして入り口の方へ戻る形になる。今度は大広場を挟んで“聖なる丘”の眼下に見えていた居住地区を歩く。
マチュピチュの居住区
マチュピチュの居住区
マチュピチュの居住区
コンドルの神殿
聖職者の居住区は先ほど歩いた太陽の神殿近くにあり、こちらは貴族、技術者、庶民の居住区となる。即ち、先ほど歩いた太陽の神殿~インティワタナ一帯が“聖”のエリアだとすれば、こちらは“俗”のエリアということになる。パチャママ神殿から順に貴族→技術者→庶民の居住区と辿ったが、インカ伝統の石組みの壁で囲まれた家の規模が次第に小さくなるのが分かったりして面白い。
しかし  ――  何か違和感を感じる。ここに人が生活していたというリアリティーがどうも希薄に感じられるのだ。
というのは、ここに残る建物は大半、屋根が無いのである。一部、藁ぶきの屋根が再現されている建物が農地管理人住居跡や太陽の神殿近辺にあるものの、特にこの居住区では全てが筒抜けになっている。これでは「雨露をしのぐ」という家屋の重要な役割が欠けてしまい、ここが「生活の場」だったという実感が乏しくなってしまう。
では、これらの建物に藁ぶき屋根が被さっている風景を目を閉じて想像してみると  ――  にわかにこの天空都市に人の生活感が感じられ、生き生きとしてきた。

牢獄・刑場としても使用されていたというコンドルの神殿から中心広場を経て少し上がると、先ほどの太陽の神殿近くに戻る。これで一回りした格好になる。
インカ伝統の建築様式を体感でき、聖・俗両面の姿があり、農耕・牧畜・工業といった人の営みの名残りもあり、想像力を働かせてのことではあったが当時の人の息吹きも感じられる、上質の遺跡だった。ろくに予習もせず、ガイド本も地図のページしか見ていなかったので見落とした部分もあったようだが、クスコで征服者の文化ばかり見せられて少々うんざりしていた私には、当時のインカの人々が送っていた生活の営みが大まかに感じられただけでも大満足だった。

マチュピチュ
出入り口から見たマチュピチュのラストビュー

私は参観を終えてマチュピチュを後にすることにした。「ちょっと早いかな?」と思ったが、休憩してからシャトルバスに乗り、駅近くの民芸品土産売り場をうろうろしていたらちょうどいい時間になった。

来る時と同じバックパッカー号で20時半すぎ、ポロイ駅に到着。いつの間にやら少し強めの雨が降っていた。
「バスが来たぞ!」
という声が上がって大勢の旅行者がそちらに向かうのに、私も着いて行ってみると、クスコまで1人6ソルのミニバスが出ていた。このバスが往路にもあったなら間違いなくこれに乗っていたのだが…。

明日には別の街へと移動することになる。
今回の旅で最大の目当てはマチュピチュだった。到着3日目で早くもその目的を達成した訳だが、ペルーという国は掴んだ私の心をそれだけで離そうとはしなかった。

コメント(0)

コメントする

<新着記事>

Google

WWWを検索a-daichi.comを検索