リマ・1 ~征服者の首都、太平洋
2009年9月18日
夜が明け、窓の外にミラ・フローレンスの町並みと、中央公園、ケネディ公園のグリーンベルトが見える。
すっかり明るくなったところで、表に出てみた。リマは近代的な都市だが、クラシックな教会やスペイン風の建物が時折見られる。
それらの建物は、スペインによるペルー征服を物語る語り部でもあるのだ。
クラシックな教会
ミラ・フローレンスの町並み
私は街の西側へと足を運んだ。その先には、私がリマに来て真っ先に訪れたかった場所があったのだ。
リマで一番訪れたかった場所 ―― それは、カテドラルでも広場でも博物館でもなく…
ラルコ・マルから見る太平洋
太平洋だった。
日本も太平洋に面しているが太平洋の西岸であり、ここリマはそこからはるか離れた東岸だ。
今私は日本から見て地球のほぼ裏側にいる訳だが、はるか西の日本がこの太平洋でペルーと繋がっていると考えると、ペルーが日本とそう離れていないような錯覚に襲われる。その思いは、19世紀末から多くの日本人移民(元大統領アルベルト・フジモリ氏もその一族)がこの海を渡ってきたことも関係あるかもしれない。
生憎の曇り空で、ラルコ・マルから見る太平洋も灰色に濁っていたが、それでもはるか海の向こうにある祖国へと繋がるこの広大な海に思いを馳せる気持ちはとどまることがない。
次の場所を目指すため、宿のあるミラ・フローレンス中心部を抜けて、更に北へと歩く。
リマの住宅街
大通りから一歩中に入ると、そこは閑静な住宅街だった。時折、ヤシなど熱帯性の植物や、いかにも南米らしいサボテンなどの姿が見受けられる。
しかし、ここに見える風景は"南米"のものなのだろうか。
リマは16世紀、スペインのインカ征服後に建てられた、征服者(コンキスタドール)による街である。そこに暮らす者も、肌の色を見ていると先住民(インディオ)が多いように思われてしまうが、その実は純血のインディオよりも混血(メスティーソ)の方が多数を占めているのである。
「ペルーの首都」と言うべきか、「征服者の首都」と言うべきか…
自分は今、一体どこにいるのだろう。
しかし、そんなリマにも征服以前の歴史が全く無い訳では勿論ない。
私が今向かっている場所も、それを物語る場所だった。
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