ハラホリン-4 ~エルデニ・ゾー背後
エルデニ・ゾーの参観を終えた後、西側からその裏手に回ってみた。ここにはモンゴル帝国時代首都カラコルムの名残りが残っているのである。
200mほど歩くと、地面の上に丸みを帯びた大きな石が一つ、草原の上に横たわっているのが見える。近づいてみると、原型を極めてよい状態で留めている亀の彫刻だった。
この亀石は石碑の台座として使われていたものだという。「亀が世界を支える」という神話からこの動物が台座のモチーフになったとのことだ。確かに、背中が亀にしては平らだし、その真ん中に石碑をはめこんでたと思われるくぼみが見られる。ここのほかにもあと2箇所、現存するものがあるらしい。
亀石
モンゴル帝国時代の建物の基礎跡
そしてこの近くに、オゴデイ・ハーン宮殿跡が発見されている。亀石の数メートル傍らにも、有刺鉄線で囲まれた当時の建物の基礎跡が見られる。
先述したように、宮殿などそれら建築物の資材は、遺構の向こうに見えるエルデニ・ゾーに転用されてしまい、今ではその跡を残すのみである。
モンゴルのシャーマニズム信仰を示すオボ
そしてそのエルデニ・ゾーもモンゴル革命の煽りを受けて7割の堂が失われてしまった。
現在のハラホリンのもの寂しさは、そうした歴史を映し出したものなのだ。
さて、モンゴルの宗教としてここまで仏教のことばかり書いてきたが、仏教伝来以前から民間で信仰されていたシャーマニズムも現代にまで受け継がれている。
そうしたシャーマニズム信仰を象徴するのが、草原などでよく見られる石塚・オボである。大小さまざまなものがあるが、一般的にはそのへんにある石を集めて積み上げた簡素なものである。私がエルデニ・ゾー横で見た小さなオボの上には、馬だろうか、動物の頭蓋骨がちょこんと乗せられていた。あくまで天然素材 ―― このあたりがいかにも自然信仰らしい。
時刻はまだ12時を回ってもいなかったが、ハラホリンで見るべきものはこれで見終わった。今からならウランバートルに戻ってもそんなに遅い到着にはならずに済みそうである。1週間という短期なのだから、進める時に先に進んでおいた方がいいだろう。
2泊するつもりだった予定を切り上げて、私はハラホリンを後にすることにした。
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