蘇州号 ~さらば中国
2007年12月18日
朝8時半。サトシ、ピエールらとタクシーで、大阪行きフェリー蘇州号の待つ国際フェリーターミナルへ。長かった旅に終止符が打たれる時がいよいよ目前に迫っていた。
蘇州号
最初、タクシーは船の前まで行ってしまったが、さすがに国際フェリーでいきなり乗船ということはあり得ない。地下に設けられているチェックインカウンターに移動し、そこで今回の旅15回目にして最後の出国手続きを行う。
乗船後、船室に通される。蘇州号は、もう一つの日本-中国(上海)間のフェリー新鑑真号と比べるとやや小規模だが、新しく、船内は明るくてきれいだ。
私たちがとったチケットは一番安い2等B。だだっ広い部屋に布団が並べられているだけの、いわゆる雑魚寝部屋。言ってみれば、ドミトリーの船室である。
以前、何かで鑑真号の雑魚寝部屋は船底に近い場所にあると聞いていたのでそれを覚悟していたのだが、確かに3層になっている客室部分の一番下ではあったもののきちんと表に面した窓もあって、いわゆる"船底"という言葉から連想されるような閉塞感は無い。いやそれどころか、雑魚寝仲間が私を入れて7人しかいなかったことや部屋の広さも手伝って開放感すら感じられるくらいの快適さだった。
蘇州号の2等B船室(雑魚寝部屋)
さらば上海、さらば中国
出航予定は11時だったが、荷物の積み込みに時間がかかって40分遅れの11時40分、蘇州号は埠頭を離れ、一路大阪を目指す。
デッキの上に上ってみると、霞の向こうに見える上海の外灘が次第に遠くへ消えていく。私はその風景に向けて、叫んでいた。
あばよ~~~!!
二度と来ないぞ~~~!!
「中華人民共和国」との決別の瞬間だった。
中国各地を旅行し、中国で留学・現地就職までした私はもはやいなかった。今回の旅を通して、中華人民共和国・中国共産党に対する不信感が既にピーク近くにまで達していたのである。
もはや中国が「中華人民共和国」である限り、この国を訪れることは二度とあるまい。あるとすれば、チベットに入国するための通過点として成都や西寧などを訪れる以外、あり得ないだろう。
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