バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

アジア周遊第8部 カンボジア、ベトナム、ラオス

ホーチミン(サイゴン)-2 ~ベトナム戦争を考える

2007年10月29日

現代カンボジアを語る上で内戦を避けて通ることができないのと同様に、現代ベトナムを語る上でベトナム戦争を避けて通ることはできない。特に最後の拠点となった旧サイゴン=ホーチミンは然りである。
この日はベトナム戦争ゆかりの地を巡る。

午前中は、デタム通りにある旅行社が主催する半日ツアーで郊外のクチ・トンネルへ。
クチ・トンネルは戦争当時に南ベトナム解放戦線が掘った地下トンネルだ。複雑に張り巡らされたトンネルの総延長は200kmにもなるという。単なる通路ではなく、塹壕があったり武器の製造等もこのトンネル一帯で行われていたりなど、一種の砦と言ってもいいぐらいで、最後まで米軍の攻略を許さなかった拠点である。

小さな扉から穴に隠れる実演
小さな扉から穴に隠れる実演
戦争当時使われていたトラップ
戦争当時使われていたトラップ

最初にトンネルの説明とビデオ観賞をした後、森の中にあるかつての砦に入場。注意していないと分からないような小さな扉が地面にあってそこに人がすっぽりと隠れることができたり、数々のトラップが仕掛けられていたり、数々の守りの工夫が今でも観光用に残されている。当時使われていた戦車も展示用に置かれていた。
クチ・トンネル内部
クチ・トンネル内部
前半はずっと地上を歩いていたが、後半になってようやく本命のトンネルくぐり。ところがこのトンネル、入口こそゆとりがあったものの、中に入ると幅も高さもかなり小さく、かがむか這いつくばるかしないと歩くことができない。まあ、これも敵(米軍)の進入を防ぐためということだったのだろう。トンネルくぐりの時間はほんの数分だったが、これで十分。これ以上あの狭い穴の中を進むと腰に悪いし、自分がアリか何かになってしまったかのような錯覚に陥りかねない。
戦争というものはかくも息苦しいものなのか。当時のベトナム兵たちの、そしてベトナムという国の苦難が伝わってくるようだ。

戦争の苦難を受けていたのは、無論こうした前線にいた兵士たちばかりではない。戦場にいなかった普通の人々もそれ以上の苦難を経ている。 市内に戻ってから、ベトナム戦争証跡記念館を訪れた。
中庭には当時使われた戦車や戦闘機などが飾られており、館内には銃やバズーカなどの兵器が展示されている。
デタム通り
余りに痛々しい写真の数々(ベトナム戦争証跡記念館)
しかし、そんなものより強烈なインパクトを与えていたのは、普通の人々が受けてきた苦難を物語る写真などの展示だ。米兵から酷い仕打ちを受けるベトナム人たちの様子を収めた写真は見るに堪えない。また、私が子どもの頃話題になった奇形の双生児・ベト君、ドク君に見られるような、枯葉剤による胎児への悪影響を物語る奇形児のホルマリン漬けもある。
なぜベトナムに米軍が介入してくるのか  ――  冷戦という当時の時代背景は分かるのだが、第三国がしゃしゃり出てくることには納得がいかない。最近でも米軍はPKO・国連の名を借りてイラクに介入しており、当時から体質が変わっていない。悲劇はまたどこかで繰り返されてしまうのか。
 ※だからと言ってベトコンを支持する気持ちは毛頭無い。ここでの展示にプロパガンダが存在していることは十分に承知している。
唯一救われたのは、世界の平和を訴える子どもたちによる絵の数々。こうした子どもたちの心がきっと、この国がまた戦火に見舞われることを防いでくれると信じたい。

市民劇場
市民劇場
人民委員会前のホー・チ・ミン像
人民委員会前のホー・チ・ミン像

その後もホーチミン市内を、昨日も訪れたサイゴン大教会や、やはりフランス風の市民劇場の前などを通りつつぶらぶらと歩き回る。
ふと目に入った白亜の人民委員会建物の前に、ベトナム戦争時の北ベトナム指導者でありこの街の名前の由来でもあるホー・チ・ミンの銅像が座している。 サイゴン陥落から30年余。商業都市として大発展し勢いを見せているこの街を、ホー・チ・ミンは感慨深げに見ていることだろう。

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