プノンペン-2 ~内戦繰り返すまじ(2)
2007年10月26日
やはりカンボジアを語る上で、“内戦”は避けて通ることができない。
プノンペンは首都。内戦に関する博物館等の施設は勿論ある。自転車を借りてそれらの施設を巡る。(後で、同じ宿の日本人にそれらを自転車で回ったと言うと『あり得ない!』と言われたが、決して無理な距離ではない)
トゥール・スレン博物館
収容された人々の顔写真
まず、プノンペン市内にあるトゥール・スレン博物館。ここは、ポル・ポト派による虐殺の際に、捕らえられた人々が尋問・拷問を受けた施設だった場所である。
狭苦しい独房
館内では、尋問室、たたみ一畳分も無い狭苦しい独房、雑居房等が当時のまま残されており、当時使われた拷問の道具なども展示されている。拷問の様子を描いた絵画も生々しい。
収容された人々の顔写真が並べられた部屋もある。その中には、まだ生まれて間もない赤ん坊までいるではないか。
―― 考えられない。
どうして、人が人に対して、しかも同じ国の国民に対して、こんなことができるのだ?
戦争は全て、残酷で悲惨なものである。しかし、同じ国の人々で殺し合う内戦ほど痛ましくやり切れないものはない。
2つ目は、プノンペン市中心から12kmほど南西に離れたチェンエク村にある、キリング・フィールド。シェムリアップにあった同名の施設と同じ、ポル・ポト派による虐殺の現場である。
プノンペンのキリング・フィールド
入り口をくぐると、「トラックの到着地点」と書かれた看板がある。トゥール・スレンに収容された人々がトラックで運ばれてここに連れられ、処刑されていったという。全く、人を人として扱っていない。
シェムリアップで見たのと同様な形の慰霊塔がここにもある。但し、規模はこちらの方が断然大きい。中にはやはり、遺骨が生々しく積まれていた。
その側には文字通り"フィールド"があるが、やけにでこぼことしている。その窪みこそが、埋められていた遺骨を掘り出した跡である。余りの多さに、一体何人の人々が埋められたのだ?と思ったところ、9千人近いようである。
いずれも、余りに生々しく、痛々しい。
しかし、人々にこれを生々しい、痛々しいと感じる心があれば、2度とこのような悲劇は起きるまい ―― と信じよう。
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