バンコク、アランヤプラテート ~チャイナタウンとワット・トライミット
2007年10月18日
すっかりチャオプラヤー川の水上バスが気に入ってしまった。この日も午前中、あちらこちらと乗り回す。
一番の目的は水上マーケットだったのだが、どうやら土日でないと開かれないらしく、市が開かれると聞いていたダオ・カノーン運河や南バスターミナル近くなどを回ってみたが、とうとう見つからなかった。
既に明日にはタイを離れることが決まっていたので、タイで水上マーケットを見ることは諦めざるを得なかった。
午後からは、やはり水上バスで、ホワランポーン中央駅西側にあるチャイナタウンへ出かける。チャイナタウンは先日、バスの上から眺めるだけはしている。自分の足で歩けば新しい発見があるだろう ―― と期待して水上バスを下りて歩き始める。
新しい発見があった。
チャイナタウンにはフカヒレの店などが多いが…
チャイナ色はいまひとつ薄い
これまでシンガポールやマレーシアでも何度もチャイナタウンを見てきた。ここバンコクのチャイナタウンは、その中でも最も、「チャイナ」色が薄いのである。
バスの中から、道の両端にせり出した香港的な看板を見ていた時は「金行」「「燕窩」「魚翅」などたくさんの漢字が目に飛び込んできて、「さすがはチャイナタウン」と感じた。
それが実際に自分の足で歩き、自分の視線で見てみるとどうか。看板にはタイ語の文字が圧倒的に多く、その次にアルファベット。華人の文字である漢字に至ってはその次程度なのだ。
表通りから中に入り、バザールの中を歩いてみる。ここでも看板はタイ語の文字が圧倒的に多い。店の経営者も華人よりもタイ人が目立つ。並んでいる品物も特に"チャイナ"色がある訳でもない、普通の日用品ばかりだ。
唯一感じた"チャイナ"がフカヒレと燕の巣というのは、余りに寂しすぎる。
がっかりしたまま表通りに戻ってみると、バンコク名物・渋滞。しかもここでは、片側通行にして渋滞を緩和させようという工夫は見られるものの、細い路地に車を無理矢理走らせている印象があり、バンコク市内でも最も渋滞が著しく感じられる場所だと言えるかもしれない。
これまで回って来た他の街のチャイナタウンは「また来てみたい」と思わせる雰囲気があった。しかし、バンコクのチャイナタウンはそんな気持ちを微塵も起こさせてくれなかった。
ワット・トライミットの黄金仏
チャイナタウンの東側、ホワランポーン中央駅のすぐそばに、ワット・トライミットという寺院がある。ここには時価120億円もの黄金仏があるというので、チャイナタウンに来たついでに立ち寄ってみた。
確かに輝かしい仏像である。
しかし、タイに入って既に16日になる私は、あちこちで黄金仏を見てきていた。目が「慣れて」しまっていて、ワット・トライミットの黄金仏が純度60%と言われても、同じ「金ピカ」にしか見えないのである。
この日でバンコク、いやタイでの日々は事実上終了。次の国のビザ申請をお願いし、そこへのバスを予約していたカオサン通りの日本人向け旅行社・MPツアーに出向いてパスポートを受け取る。
夕暮れ時のチャオプラヤー川
夜のカオサン通り。仮装パフォーマンスも
多少の「がっかり」もあったタイ最終日だったが、そんな私の心を、夕暮れ時のチャオプラヤー川の眺めと夜のカオサン通りの賑わいが慰めてくれた。
カオサン通りは相変わらず、旅行者、店や屋台を営業する人々、客引き、その他パフォーマンスをする人々などで眠ることを知らない。
この"バックパッカーの聖地"とも明日の朝でお別れだ。
2007年10月19日
早朝6時半、バスチケットを予約したMPツアー前に集合。私より前に2人の日本人が来ていた。
私を含めたその3人で全員だった。バスではなく普通のワゴン車に乗り込み、カオサンを、バンコクを経つ。
途中でタイ人一家3人をピックアップしたりしながら、快適な舗装道路を4時間ほど走り、10時50分、アランヤプラテート着。ここは、カンボジア国境の街である。
仏教文化の花咲く"微笑みの国"とも、ここでお別れである。
ここで合流した別の車で来たツーリストたちがアライバルビザを取得するのを待ち、12時半すぎ、国境へと向かう。
東南アジアに入ってからずっと同様だが、イミグレーションでの手続きは実にあっさりとしたものだった。
タイ側のイミグレーションへ
ここから先がカンボジア
出国手続きを終え、カンボジア側へと向かう。特に地面に線が引かれている訳でもないのだが、ある地点に達すると、付き添いのカンボジア人がこう言った。
ここから先が、カンボジアですよ。
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