アユタヤ-3 ~タイと日本との関わり
2007年10月14日
ロータリーの真ん中に建つワット・ソンプレアムのチェディ
アユタヤの中心部は幾つもの川に囲まれた中洲(と呼ぶには川の細さに比べてかなり大きいが)になっている。東側に架かっているプリデッタムロン橋でパサック川を渡って中洲の外に出て、朝にソンテウの上からも見たワット・ソンプレアムのチェディ(仏塔)が建つロータリーを右折して更に進むと立派なチェディが見えてくる。アユタヤ朝初代ウートン王が1357年に建てたといわれるワット・ヤイ・チャイ・モンコンである。
数十もの仏像にぐるりと取り囲まれたここのチェディは高さ72mと、アユタヤ最大級の規模を誇る。対ビルマ軍の戦いに勝利した記念として1592年に建てられたといわれるが、そんな意味合いを持ったこのチェディも後のビルマ軍の侵攻後は荒れ果てたようである。現在では寺全体が修復され、"現役"の寺院として多くの観光客を呼び寄せている。
上に上って景色を楽しむこともできるが、残念ながらアユタヤの中心部は離れていて見えにくい。
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ワット・ヤイ・チャイ・
モンコンのチェディ
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チェディからの眺め。
周囲に仏像がずらりと並ぶ
更に進むと、アユタヤ中心街の東南に隣接する中洲に行き着く。そこには徳川家康の時代に朱印船貿易に伴って築かれた日本人町の跡がある。
今では土産屋の一角に当時の長(おさ)であった山田長政の像があるぐらいで、すっかり普通の公園になってしまい、当時の様子を思い浮かべることは既にできない。しかし、海外在住歴のある私には、日本人の海外進出の先人である山田ら当時の日本人に敬意を表さずにはいられない。
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「アユタヤ日本人町の跡」の石碑
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山田長政像
公園の横を、バンコクに繋がるチャオプラヤー川がゆったり流れる。椰子の汁を飲みながら、川辺でちょっと休憩する。
[バンコクどころか、ここの水は日本にも繋がっているんだよな]
普段は海外で川を見てもそこまでは思わないのだが、「日本人町」があった場所に立っていると不思議とそんなことを考えさせられる。
夜になって、遺跡のライトアップが行われているとのことで行ってみた。まずワット・プラ・マハタート、そして更に1km進んでワット・プラ・サンペット。漆黒の闇の中に浮かび上がる寺院は、あたかも後光がさしているかのようだった。ただ、後者のビューポイントには蚊が多く、それを払いのけるのに集中力を奪われてしまう。
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ライトアップされたワット・プラ・マハタート
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ライトアップされたワット・プラ・サンペット
いずれの場所も観光客(特に日本人)が大勢いたが、皆ツアー客でバス移動であり、歩いて移動していたのは私ぐらいだった。
ところが、行きの時には何とも感じなかったのが、帰りのワット・プラ・サンペット-ワット・プラ・マハタート間の道は余りの暗さとひと気の無さに心細さが感じられ、急いで歩いたにもかかわらず僅か1kmの距離がやけに長く感じられた。
この時は先述のタイ邦人女性殺人事件が発生する前だったが、あのニュースを聞いた後だったら、恐らくこの夜道は歩けなかったことだろう。
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